意識高い系という人種が揶揄の対象となって久しいが、「意識の高さ」という言葉は本質を突いていると痛感する近頃だ。人間は日々を無意識に過ごし、ただあるものをあるがままに享受し続けることもできる。しかし生活を意識的に閲し、改善することで自分をより幸福にすることもできる。例えば、昼食にコンビニの弁当を買っていた人が、ある時もっと美味しい弁当はないのかと考え、近所に美味しくて安い弁当屋を見つけた、としよう。この発見でその人の生活に利益があったことに疑う余地は無いだろう。要するに意識の高さ、とは小難しいものでも高尚なものでもないのだ。単に何も考えずにいるよりも、意識して何かする方が自分にとって良い、というそれだけの話なのである。こうした改善は、意識高い系にありがちな特別な経験や知識に価値を見出す思考とはむしろ真逆で、万人共通の日常生活の中でこそ発揮されるものと言える。
では、具体的に意識の高い人間というのはどういう行動をとる人を言うべきなのだろうか。いくつか考えてみた。
・手軽に手に入る美味しい食べ物を探す。