それはゴジラの口に凝固液を投入する部分の作戦が、たまたま上手くいったように見えて(ご都合ともいう)、作戦としてガバガバだということである。
というのも、
(2)もし倒れたとしても、口がどの方向に倒れるか分からない、
まず、(1)ゴジラはミサイルを当てても倒れなかったことを考えると、ビルで押しつぶそうと、無人在来線爆弾を当てようと、倒れる保証はないはずだ。例え、原子力によるエネルギーを吐き出させた後でも。
とはいえ、もし、ゴジラを倒れさせるために二の手三の手を用意していた場合、ゴジラが倒れることもそこそこ可能な作戦だったのかもしれない。
つまり、戦闘機とビルと無人在来線爆弾だけというのは、トリックとしては面白かったがかなりギャンブルな作戦である。(それに無人在来線爆弾は線路から離れたら使えない!)
しかし、(2)の部分はより深刻である。ゴジラがどこに倒れるか確実には分からない。また、凝固剤の量にはそこまで余裕はないはずである。そのため、凝固剤を積んだタンクの配置問題はとても難しいのではないだろうか。一箇所に配置した場合、その拠点がやられたら終わりだし、あるいは倒れる場所が遠すぎたら口から入れる前に起き上がってしまう。逆にばらけて配置した場合はリスクは分散するが、タンクの移動に時間がかかり十分な量を口に入れるのにすごく時間がかかる。
つまり、例えば凝固剤が必要量の1.5倍しかないとして、ゴジラの周りにタンクを置いた時、ゴジラにタンクが壊されず、ゴジラがちょうど良いところに倒れるか、というのは相当なギャンブルではないだろうか。
その様な理由で、自分は映画のこの部分を見たときなんでこの作戦に賭けてしまったのかなと思い、映画に集中できなかった。
この作戦に説得力を持たせるためには、どこにゴジラが倒れるかの確率分布を計算できタンクの配置を最適化できる数学者、あるいはゴジラを確実に嵌められる諸葛孔明のような軍師の描写が必要だったのではないかと考えられる。
おはなしですから
おはなし、 されど、 この作品に力が入れられなかった部分があり、それについて受け手の大部分は気づいていない。そのことについての認識がこの世にあっても良いと思った。 ひいて...