昨今議論されている「告白ハラスメント」とか「異性の友情」とかについて、
とどのつまり「恋愛のセオリー」なるものが、個人個人において著しく乖離していることが原因であろうと思う。
何故こうも乖離するかと言うと「恋愛を学ぶ場が乏しい」に他ならない、と思う。
友達、親兄弟、学校の先輩と言った人から教わる場合、あるいは少女漫画、恋愛ゲームと言ったメディアから教わる場合、あるいは何も学ばない場合…
とにかく「恋愛の教師」なるものが人によって全く違うのだから、乖離して当たり前なのだ。
「その個人個人の価値観の違いを探り合って摺り合わせするのが恋愛の醍醐味だ」という意見も間違ってはいない。
しかし、その価値観の違いこそが「告白ハラスメント」のような悲劇を生み出してしまうことは目を背けようがない。
結局今の恋愛というゲームは「手を使ってもいいサッカー」状態なんでは?
だから「手を使うのはルール違反!」と言った所で「そんなルール聞いたことないし知らん!」
今求められているのは「恋愛というゲームのルールの明確化」である。
痴漢が犯罪ってことも、教育しような。