不満を抱えている人は、解決できない問題を解決したくて、問題を解いてくれる人がほしくて、声が大きくなる。
不満がない人は、解決できない苦しい状態がないから、特に何も言わない。
だから、こういう場所に「幸福に、円満に生きられている」という記載がかなり少ないのも、仕方がないことだとは思うけれど。
自分は婚約している。自分が試験に受かって免許を取ったら、今度は相手が専業主ふになる予定だ。
他にもいろんなことを試すつもりだ。お互いの合意の上で、お互いに立てたプランに基づいて。話し合う手段を確立させた上で。
幸せになろう、って決めた時に、「しあわせってどんなことを指すのか」「自分が欲しているものは何か」を見つめ直した上で、互いに合意し幸せになるための協力関係を結び、進んで行くつもりだ。
きっと幸せになれるとおもう。なりたい。
「結婚/妊娠なんて深く考えてちゃできないわよ」なんて鼻で笑われたこともあったけど、深く考えた上でもきちんとそれらが達成可能で、その上幸せにもなれるんだ、って証明してみたい。
でも、このプランがほんとうに正しいかなんてわからない。だから、「しあわせな家族/夫婦」がおとぎ話の中だけじゃないってことを指し示してくれる人たちのサンプルが欲しくなる。前例が欲しい。
頭でわかっちゃいるけれど。
だけどこのもやもやに引っかかる。
私は私がいま幸せで、これからも幸せになるんだ、なれるんだ、幸せになるために一緒に頑張れる人を見つけたんだ、って叫びたいし、知って置いて欲しいんだと思う。
その幸せはペアリングにこもるものでも、ツーショットの自撮り写真にこもるものでもない。
むずかしいけど、彼はそれを「幸せに生きた、という結果が出せて初めて達成されることだから、いまは結果を出すために着実にやっていくしかないよ」と諭された。
気のとおい話だと思うし、待つのが得意な彼らしいとも思う。
真似して数十年、待ってみようかなあ。結果はあとからついてきてくれるかな。