昨日、同僚に対してあまりにイヤな思いをして、夜も眠れないほどだったのだが、一日たつと少し気がラクになっていた。不思議なものである。
時間が過ぎれば解決するんだ、ということを実感した。きっと人生ってこういうものなんだろうな。イヤなことと良いことを繰り返して学んでいくんだよな。なんだか1つ成長した気分だ。1日経って冷静に考えると、私が嫌いになる、イヤな思いをする人というのは、なんと最初は自分が好意を抱いてしまう人なのだ。
最初出会った時は、あ、この人といると心地よいな、という感じがして、会話も弾んだり、価値観も似通っていたりして、なんだか仲良くなるのだ。
私の悪いクセなのかもしれないか、好意を抱いてしまうと、全てを受け入れようとしてしまうのだ。愚痴や自慢やツマラナい話だって親身になって聞いてしまう。
自分が喋るのが得意ではないからかいつも全てを理解しようかとしてしまう。でもだんだんそれが苦痛になって来てしまうのだ。それはきっと・・・。きっと、なぜならどこかに[してあげている]という感覚があるからなのだ。話を聞いてあげている、合わせてあげている、お願いはすべて聞いてあげている...という感覚である。
だんだんそれが溜まってきてしまい受け取れなくなってしまうのだ。なんだ、私がこれだけしてあげているのに相変わらずあなたは自分のことばかりなんだね、と思ってしまうのだ。自分で言うのもなんだが、私という人間は、何と心の狭い人間であろうか。結局私も自分だけなのだ。相手のことを思っているのではなく、自分のことしか考えていないのだ。
嫌いになってしまうと、少し距離を置いていくのだ。そうすると、もちろん離れていく人もいるし、それを許してくれる人もいる。そういう経験を何回かしている。
昔の人は私を許してくれたんだろうか。今回の人はどうなるだろうか。私としては、あまりにツラくて、もう距離を置くことは決意したので、少しラクになったのだ。
何と言うか、こんなことを繰り返していくのかと思うと本当にツライ。たぶん人とはできるだけ仲良くしない方が良い、とさえ思ってしまうのだ。相手の自慢話や身の上話を聞いて、
私が相手に嫉妬しているのは間違いない。そしてそれがイヤになる原因であるのだろう。
結局、私にできることはただ、私の道を歩いていくだけなのだ。とても遅いけれど、少しづつ少しづつ歩いていくしかないのだ。ちょっと遠回りだけど、他人にはわからない、私しか体験できないことなのだから、私が行きたいところに行くべきなのだ。嫉妬なんてするべきでないし、愚痴だって言うべきでないのだ。
起きていることは全て正しいと思おう。今ここにいること、今までしてきたことが決して無駄ではなかったと思っていたい。