人は読書から何かを得るという。知識や情緒、技術。それらを自分の糧にして、自分を高めていく。
でも僕はそうではなかった。僕はたくさんの本を読んだ。親が教育熱心で、幼い僕に積極的に読み聞かせをしてくれた。文字を読むことに一瞬楽しみを覚えた。周囲からは本の虫といわれた(気がする)。というか、本を読んでいると親が喜んだ。周りは天才扱いした。もてはやされて、楽だった。
ニート生活を経て気づいた。僕が文章を読んでも、それは一時僕の中をかすめるだけで何物にもならない。文字列が透明なフィルターを通り過ぎていくだけ。小説でもドキュメンタリーでも漫画でも図鑑でも論文でも2ちゃんでもツイッターでもなんでもいい。それらが僕の中に入ったところで起こることはいつも同じだから。読んだところで何も起きない。その証拠に、こんなにも文章が下手だ。いい年にもなって僕はまるで透明で箸にも棒にも掛からぬ人間だ。身近な人間、社会、その他諸々ぜーんぶどうでもいい。
ちなみに上の文章の「読書」は声楽、勉強、ピアノ、チェロ、バスケに置き換え可能
確かに僕はかなり恵まれてる。経済的に困窮したこともないしたぶんこれからもそんなことはないだろう。それでもどこかむなしくて、つらい。