私の話があなたの慰めになるかどうか知らない。
でも聞く耳を持った時のことを考えて書いておく。
私は子供の頃から頭が良かった(それなりに。東大に行くほどではない)。
その母は、母の姉(=叔母)に対して私のこと「何を考えているかわからない」と言った(と叔母から聞いた)。
母は叔母に、「お姉ちゃんは子供がいないから悩みがなくていいよね」と言った(と叔母から聞いた)。
実家では犬を飼っているが、犬がいるから旅行にも行けないと母がこぼす(飼いたいとったのは母自身だ)。
まだまだクズエピソードはあるが、母はいたって常識人のつもりでいる。
もちろん2ちゃんねるで見るようなクズとはまた違う、いたって一般的な人間だと思う(と思いたい)。
所詮人間は自分の都合の良いことが世間一般にとっての良いことだと考える。
たとえば経済的な不自由がないことが最大の幸せ(逆に金がないことが不幸せ)だと思ってしまう、あなたのお母さんのように。
一方で「私のことを誰もわかってくれない」という感覚が、その人を世界から見捨てられた証拠のように思う。
あなたのことをどんなに理解しようとしていても、そのことがあなたの好むように伝わらなければそれは意味のないことなのだ。
あなたにとって、どんなに世界が辛いと思っても、それはあなたにとって思うような世界でないというだけのことだ。
私の母は、今も世界が自分の意に沿わないことを嘆いていることだろう。
母は稼ぎの悪い夫(私の父)のことを嘆いていることだろう。
あたなは、私の母のように思うだろうか?
あなたは、思い通りにならない世界を、あなたの母親をどう思うだろうか?
それとも連れ子でなかったら今の辛い境遇にならなかったと思うのだろうか?
もしここまで読んでいるなら考えてほしい、あなたの思い通りになるのはあなたの内側だけなのだと。
不幸な(だと思っている)あなたの境遇は、あなたの内側だけはそうではない。
連れ子である事実は変わらない。でもあなたは変わることができる。
私の母は自由ではなかった。