そうでしたか。それは残念なことでした。
抽象論しか言えないけれども、他人の人生をトレースできないのと同じで、
他人が作品に感動する理由も同じくらいトレースしがたく、根深く、言語化しにくいロジックなのでしょう。
これだけ価値観が多様化した時代ですし、自分と異なる感性の人が大絶賛しているコンテンツやらサービスやらに突き当たる事も多くなりました。
だからダメだったら、合わなかったことを嘆く程度はいいですけれども、
ここがこうだからダメじゃないか、などと上下にランク付けしたり、良い悪いを判定したりはしない方がよいと思います。
要は、世の中にはピカソの絵の類がたくさんある、と考えてみてほしいのです。
それを踏まえて、ストーリーを評するのは慎重になってほしいのです。
とりわけ、ご都合主義、という評は極力さけてほしい。
それでも人を感動させる物語は、物語の都合を「乗り越えて」伝わる、メッセージ性、パワーをその人に感じさせているんです。
それはその人に欠乏していて、欲しがっていたものです。
細かい表現の数々に感性がマッチして、琴線に触れて、それらを拾い上げていった人だけに伝わる感動がある、
そういう状態になったとき、人はそのご都合主義に対して寛容になれるんです。
そういう状態になれなかった時は、どうしても色んな部分が鼻についたり、寒く感じたりしてしまうもの。
そして、そういうネガティブ評は、本来作品を楽しめたかもしれない人の思考も侵食して、
「乗り越える」力を失わせてしまう。
話が逸れましたが、具体的ではなく抽象的には、これが答えになるかなと思います。
気に障ったらすみません。