「便衣兵の蛮行」を支配地域の視察をする日本の将校が赦免するのかあ…
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また安全区内にあった金陵女学院にも12月13日以降毎日次々に日本兵のグループがやってきて、掠奪を行ったり、中国人の使用人や女性を連行しようとしたため、ヴォートリンは報告を受けるたびにその場に駆け付けて日本兵を退去させるために奔走した。この間に日記に記された主な出来事は下記のとおり[11]。
16日には金陵女学院に対する公式の査察(中国兵狩り)が行われ、ヴォートリンは100人超の日本兵がやってきて部屋を調べて回るのを案内し、日本兵が中国人の使用人の腕をつかんで兵士として連行しようとするのを引き止めた。
同日 日本兵のグループがやってきて中国人の使用人を連行しようとするのを引き止めた。彼らは他の男性4人を縄でつないでキャンパス西の丘へ行き、そしてそこから銃声が聞こえた。
同日 丘や街路から時折銃声が聞こえ、夜、少女たちがトラックに載せられて「助けて」と叫びながら通りすぎていくのを目にした。
17日夜 キャンパスに大勢の日本兵がやってきて中国人の使用人を正門付近へ連行し、尋問を装ってヴォートリンら学院の責任者を拘束している間に、通用門から女性12人が連行される、という事件を体験した。日本兵が校舎に入るのを阻止しようとした際にヴォートリン自身も殴られ、また尋問に際して銃撃の恐怖にさらされた。
18日 米国大使館を介して日本大使館を訪れ、自分たちの困難な体験や17日夜の事件について報告し、兵士を追い払うための書面を書いてもらった。キャンパスを警備するための憲兵が派遣されるようになった。
19日 教職員宿舎内で少女が強姦されている現場に駆け付け、兵士を追い払うという「ぞっとする話」を体験をした。
20日 日本軍の高級将校らが視察に訪れている最中に日本兵2人が女性を連行しようとしたのを引き止めたが、将校は兵士を叱責しただけで放免した。