自分の周りのある属性Aを持った人は全員別のある属性Bを持っていたので
なのだ!というタイプの主張する人はやたらと多いし、直接それを言わずとも、そういう思想が根底にあるとしか思えないような論法はかなりよく見る。
勿論、例えば属性Aを持つ人が世の中に1000人ぐらいしかいなくて、そのうち900人を知ってるとか、そういう状況にある人が言うのなら、のこり100人を誤差とみなすのが許されるような場では特に問題は無いだろう。
だけど、現実には、日本だけでも数万人いるだろうと思われる属性を、たかが周りの2,3人を知っているからと言うだけでその属性を知り尽くしたつもりになり、
一般人でもちょっと検索すれば出てくるような統計すら目を通さず、例外の存在を根拠なく否定するような人が多い。さらに言えば、語っている属性とは別の要素を無視する人も多い。
例えば北海道新幹線が無駄であるかどうかという話をしている際に、「自分が知っている都民3人は絶対に函館には飛行機で行くと言っている、だから関東の人は全員飛行機を選択するに違いない」と断定してしまうような言い方である。都民3人だけのサンプルでなぜ関東の人全員の傾向とみなせるのか、ちょっと考えてほしいし、そもそも新幹線に乗る人が一人もいないと言わないと無駄であると言えない、なんてことはないのだが、そういうことを考えないのだろうか。
「関東と函館を行き来する人」という属性の中でも、様々な事情がある。これを無視しているというのが、「語っている属性とは別の要素を無視する」ということの具体例になる。
もっと具体的に言えば、同じ「関東の人間」でも大宮にすんでる人と蒲田の人では、新幹線か飛行機かの選択に際して、事情が違いすぎるということである。宇都宮なら更に事情は変わるだろう。
北海道新幹線の例はあくまで例なので、実際この問題をどうするべきなのかはよくわからないが、いろいろな例でこのようなことを言えるのではないか。