復讐の標的は実父である。散々母を足蹴にし、倫理の欠片もない振る舞いで好き放題に傷付けた男だ。
ごく自然な流れで暴力の矛先は私達兄妹にも向いた。意に沿わない子供を殴る蹴るなどし、それを躾と称するベタなものだった。身動きする姿がテレビゲームの邪魔であれば、幼い子供三人並べて正座させ、泣くな動くな喋るなと厳命した。兄も私も妹もその命を守れる程の齢でなかったから、やはり蹴られた。それでも姉が風呂場で熱湯を掛けられた、という話を聞けば当時は足蹴すら有難かった。
最も印象深い暴力は小学校の頃、床に押し倒された事である。床に両手を縫い止められ、「お前は子供で女なのだから、親で男の言う事を聞け」と言われた。あまりの理不尽さに声も出なかった。「早く謝れ。女だから男に力で敵う訳ないぞ?ほら?どうする?」等と言われ、悔し泣きしながら謝らされた覚えがある。この嘲り煽り立てるような口調を思い出す度、未だに腹の底に溶岩を注がれる様な心地になる。
それでも耐えなければならなかった。こんな親でも、子供は庇護無しでは生きられなかった。母が子を守る為に荒げる声にすら怯える日々だった。
この無力で歯痒い日々のなんと長かったことか。今では自分と母が慎ましく暮らしていけるだけの安定した職と収入がある。去年の父の源泉徴収を見て笑ってしまった。もう働き出して三十年は経つだろうに、社会人一年目だった私の半分しか収入がないのだ。手前の収入全てを小遣いに、家の生活費は全て母と母の実家に払わせるような男の浅い懐にはさぞしっくりくるだろう。
もう庇護は必要ない。老後を意識し、いやに私に媚び諂う男をこれからどうして差し上げようか考えるこの瞬間、私は「この男の子供で良かった」と感じる。この男に復讐する為に私はこの男の子供として生まれたのだ。
高揚に胸が躍る。まだ喪服を持っていないから買いに行かなくてはいけないが、楽しみな予定は出来るだけ後回しにしたい性質である。