2016-07-10

逃した魚の大きさを思う

手に入らなかったものばかりに思いを馳せてしまうのは、もうどうしようもない人間の性なのかもしれない。

学生時代、私に好意を寄せてくれていた人がいた。

気が合うというか、物事に対する考え方はもちろん、趣味ファッションセンスまでもが似ていたし、自分の持つ雰囲気と彼の持つそれとはとてもよく似ていたと思う。

けれどそれではもの足りなかった。

私は自分と似ている人ではなく、自分とは違うものを持っている人が好きだった。

彼といる時間は、穏やかで、心地よいものだったけれど、一瞬が輝くような、このまま時が止まればいいと思うような、そんな楽しさはなかった。

好きな人と話すときは、その人のことが愛おしくて、自然と顔がほころんでしまう。

彼に対してはそれがなかった。

もちろん笑いはするけれど、それは彼に対する愛おしさからくるものではなかった。

その頃私が周囲によく漏らしていたのが、「彼は結婚するにはとても良い相手だと思うけど、恋愛対象としてはもの足りない」という旨のことだった。

今思えば何だこのスーパー上から目線物言いは。

浅はかな恋愛経験でよくそんなことが言えたものだと当時の自分をぶん殴りたくなるけれど、その頃はまだ20歳そこそこで、根拠のない自信に満ち溢れていたから、全く救いようがない。

アラサーと呼ばれるようになった今の私からすると結婚に適している、そんな相手は喉から手が出るほど欲しいというのに。

出会いのが20歳の頃でなく20代後半となった今だったら、きっと結果は違っていただろう。

いや、もしこのタイミング出会ったとしても、彼は私のことを好きにはならないかもしれない。

何回もデートをしたけれど、結局、彼は何も言ってこなかった。

私も私で彼に全く好意サインを示さなかったし、なんとなくで付き合ってだめにして結果的に彼の時間を奪うようなことはしたくなかったので、牽制もたくさんした。

それでもなお、と言ってくれなければ付き合う気もなかった。

彼とはもう長い間連絡はとっていないが、立派な会社に勤めて、傍目から順風満帆でいるらしい。

逃した魚は大きかったかもしれない。

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