2016-05-29

日本の慣習について

何日か前にもブログで書いていた人がいた。日本の慣習のなかのあるものデメリットを感じて、「いらない」と思うものを挙げる内容だったと思う。

時代の移り変わりの中で、不必要とされたり、変更が必要因習は確かにあると思う。

例のブログはそこまで至らず、自分が思う「いらない」ものをただ列挙するにとどまっている。だから中学生みたいな印象を受ける。

挙げた因習について、

①何故、今不要なのか? 不要たる社会的要因は何か(例えば年賀状は、インターネットで連絡が密になったために書簡による賀礼の重要性が低下したため、だとか)。

②あるいは、なぜ不要とも思える慣習が存続しているのか。慣習のメリットは。

③廃した場合どういう影響があるか。

現実的廃止するにはどういうアクション必要か。期間やコストは。

というような要素を検討して、実現可能か論じないと意味がない。

そこまで妥当思考を出来ないと、あの文章ブログにする意味がない。中学生でも、あるいはだいたいの大人でもふと思うことだからだ。

そこから突っ込んで、何が今の社会必要で、何が不必要かまで考えなくてはならない。繰り返すがそこまで考えなくてはならない。あの文章を書くならば。

その思考をせずに、文章ネット開陳して恥ずかしくないのだろうか。

色々ある、一見すると不要とも思える因習にも、何か意外なメリットがあったりする。

あるいは、廃することが妥当因習でも、取り除くことが現今の社会では難しいものもある。

そういうところを吟味したブログを読みたいのに。一般人が書いているのだからそこまで求めなくても、と思う人もいるかもしれないけれど。

でも、ふだん働いたり学んだりするなかで、誰しもそういう知見って得られるのではないかと思うのだ。

ただ駄目なところを挙げるんじゃない、そこから思考することは誰もが出来ることだと思うんだ。というか今の社会では、思考力はかなり重要だと思う。

一般人だって自分仕事学業から考え、立論することが大切だ。


日々の生活からディシプリンを積むべきだ、というのが私の意見

そしてあのブログにはそれが微塵も感じられず残念だ、というのが私の意見です。

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