真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
自分すら間違いだと思っていることを、何の理由もなしにやったりしないだろう?
仮に間違ったことをやったとしても、意図的であるということは動機があるということで、つまりその観点から見た場合「正しいと思ってやったこと」になる。
まあ、もしそれを皆に理解させるなら最低限、論理的に破綻していないことは大前提だろう。
ああ、いっておくが「正しさ」というものは様々な側面からみた「正しさ」というものがあるぞ。
その側面からみた範囲内での「論理的に破綻していないか」ということだから、誤解しないようにな。
当然、「正しさ」が複数ある以上、論理的に破綻していなくても、それは「その側面からみた正しさ」に過ぎない。
とある物事の是非を「一つの側面からみた正しさ」だけで判断することは、適切であるかという観点から見たとき遠ざかる可能性がある。
だから、「他の側面から見た正しさ」と比較することで、その「正しさ」が相対的に、そして総体的に見て妥当性を判断するわけだ。
まあ、みんながみんな論理的に物事を語れるわけでも、同じ「正しさ」を語るわけでもないから、そういう前提の共有すらしない議論は混沌としがちだがな。
それでも、正しさが原動力である以上、それを追い求めること自体は人間の性なのだよ。
……私か?
そりゃあ、私も正しさが原動力で、それに伴って行動しているさ。
まあ、その「正しさ」はあくまで“今の私にとって”だがな。
……ううん?
何を書いているんだ私は。
http://anond.hatelabo.jp/20160526004546を書いた人? あとこれもhttp://anond.hatelabo.jp/20160527070533