一時期、小池龍之介和尚の本から原始仏教にハマって、ひたすら怒りのエネルギーをなくそうと瞑想やら何やらにふけっていた。
たしかにメンタルの調子はすこぶる良くなったのだが、どうも何をするにもやる気が起きなくなって困っていた。
次第に瞑想する気力すら起きず、いつのまにやら何ヶ月も瞑想をサボるようになっていた。
ふと先日、とてつもなく怒りを感じる出来事が起こった。しばらくぶりの感覚だった。
ただ、そのときはその怒りを直接対象に向けるのではなく、何か生産的な方向に向けてみようという気持ちになった。
非常にイライラしながら掃除洗濯、その他今までやろうとしてやっていなかった事柄を次から次に片付けていった。
その後、これまた久しぶりに爽快な感覚を覚えた。
そのとき何か悟ったような気がする。ああ、怒りのエネルギーは前向きに生きていくには必要不可欠だな、と。
確かに怒りの感情が薄らいでいけば、現実の辛さを受け止める力は強くなると思う。
一方で、やるべきことから目を背け、より問題をこじらせる方向に向いがちなのも事実だ。
悪く言えば、怒りの感情から距離を置くことは、人生から逃げることにも似ている。
小池和尚は怒りは良くないものだとおっしゃっていたけれども、自分自身としては、むしろ怒りと刃物は使いようだと感じる。
包丁だって凶器になれば人を悲しませるけど、料理に使えば他人を喜ばせることもできる。
私、それ16歳くらいのときに気付いたよ。
さすがですね。大切なことに早いうちに気づけるのは幸せなことですよね。 自分は怒りに我を忘れて失敗することが多い人生だったので、 大学卒業した頃からとにかく怒りをコントロー...