それは「自分にはこの行動で失うものがないと思っているから」だ。
アキバで次々と人を殺したあの事件だって彼が既に自分という存在を捨ててしまい何も失うものがなくなっていたからだ。
だが彼らは「まさか自分が何かを失うなんて思ってもいなかったから」こそそういった振る舞いをしたのだ。
彼らは「無敵の人」だったのだ。
失うものがない者、失うものがないと思っている者は信用できない。
逆を言えば失うものがある者がリスクを侵すとき人は彼らを信用しやすい。
有名人が突然訳の分からない事を言い出しと思ったら周りの人間が「何を言ってるのかは分からないがとにかく凄い自信だ」を根拠としてその意見を信用してしまう事がある。
それは彼らがその意見を発する事で下手をすれば信用やひいては立場を失ってしまうからだ。
失う物があるはずの人間がただただ馬鹿なだけの言動をするはずがないという逆説的な信用があるのだ。
「何かを失うはずがない」と思って行動した「無敵の人」の多くは最後にはその行動の異常性によって孤立して社会によってすぐさま排除される。
そうすることで彼らの危険性は大幅に削ぎ落とされる。
恐ろしいことである。
それによってもたらされる被害は時に社会に大きな爪あとを残す。
教祖様が馬鹿な言動をして今更信頼を失ってみせるものかという盲信が彼らを教祖の命令に従わせるのだ。
我々はこの現象に注意しなければならない。
失うものがある者がリスクを冒すとき人は彼らを信用しやすい。 う~ん?? それって単純に評価に値する行動だと思うからじゃないの? 失うものがあるからみんなやらないわけで。