2015-11-30

Child in Carの衝撃

今日たまたまパート先の上司が乗って来ている車を駐車場で見かけた。

その車は軽で、座席の窓には黒いカーテンが掛けられていて偏見だけれどなんだか如何にもチャラい。

働いている時の上司は寡黙でひたすら真面目に仕事に向き合っているし、けれど話し掛けるといつも笑顔で答えてくれるし、口調はいだって穏やかで、でも帽子から覗く髪の毛はほんのり茶色くて。

初対面の時に、チャラ男だー!と思っていた予感が今日の車で確信に変わった。

そしてある時パート仲間から上司が既婚だと言う事を聞いた。

あんなに寡黙そうなのに、奥さんには愛の言葉を紡いだりするのだろうか

好きだよ、と耳元で囁きながら体を重ねたりするのだろうか

子供は、いるのだろうか

その話を聞いてからそればかりが頭に浮かんで来た。

そして今日。車を見た。車の後部にはChild in Carステッカーが貼ってあり、子供がいる事が分かった。

あんなに、淡白そうなのに

そうか、性行をしたのか

更に言えば欲を中に出したのか

あんなに大人しそうな顔をして。話し掛けて年齢を聞くだけで真っ赤になるのに。そうか、やる事はやっているのか。

から、どうしたと言う?

何も、変わらない

だって既婚だ。欲を中に出されて子供だっている。性行?何それ?みたいな顔をして。

からなんだって言うのだ。何も考える事はないのだ。

分かってる。分かっている。

なのに、

どうして、

私の胸はこんなに苦しい?

ステッカーを見てから

上司が子持ちだと予想していたのに

分かっていたはずなのに

それ以降溜息がとめどなく溢れる

晩ご飯を作る気力さえも沸かなかった。ちゃんと作ったけれど。

既婚だと聞いた時はまだ大丈夫だった。未婚で身近な私の知っている誰かと付き合われるくらいなら、顔も知らない奥さんがいる方がうんっとマシだと本気で思っていたか

けれど子供がいる、となると話は別だ。

上司遺伝子を受け継いだ子供がいて、幸せ暮らしているのだ、きっと

元々入るつもりなど毛頭なかったが、更に入る余地がなくなった、と思う。既婚子持ちの分際で何を言っているのだ、と言われそうだけれど。

飢えていた所に、タイミングよく、優しくされただけでこんな風になるなんて、自分経験の浅さと軽率さに落ち込む。

しか脳内では話した事を飽きる事なく反芻していて、そんな自分にもまた嫌気がさす。

仕事の話しかしていないのに。笑った顔を思い出して、自然と緩む口に酷く動揺した。

どれだけ、一体どれだけ免疫がないのか。

笑顔を思い出してチリチリと痛む胸と、ステッカーを思い出してズキズキと痛む胸にもう涙は溢れ出す寸前だ。

忘れてしまえればいいのに。優しくしてもらえたと勘違いしたままの気持ちも、車の車種も車の色も、車に貼られたあのステッカーの事も。

どうして子供がいる事に対してここまでショックを受けているのか、全然全然からないのだ。

既婚者である事よりも数倍、数万倍もショックを受けている。

やはり、淡白そうな、性に興味なさそうな顔をしているのに、やる事をやっていた、と子供がいる事で証明されてしまたからだろうか。

それでも往生際の悪い私は、実は既婚ではなくて、あの車すら家族の車なんだ、と言う結末を期待している。絶対絶対にそんな事はないと分かっているのに。

あの人らしい車だなぁ、と一目見て思ってしまったのだ。絶対あの車はあの人の車なんだな、って確信してしまたから。

あぁ、痛い。こんなに胸が痛いのは何年ぶりだろう。

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