2015-10-19

死にたいと考えるときの頭の中で考えることがら

ネット巡回しているとよくメンタルの不調を訴えタイトルのようなことがよくつぶやかれる。ダイレクトではないにせよ、頻繁に見かける。まあ、死ぬまでいかなくても非常にネガティブドローントしている。ブログを書いている人たちのうちほぼ全ての人たちがメンタル問題を抱えているように見受けられる。

自分ブログを書かないものの、たまにそうなるのだがそのときにどう考えているか分析してみた。まずは自分理想と刷る姿と今の現状との比較無意識にして、そのギャップに苦しんでいることがあげられると思う。

よりよく生きたいという強い欲求の裏返しが「死にたい」という言葉に表れているのだかららなんとも皮肉ものだ。こうありたい、でもダメから死にたい。うまくいかないから死にたい完璧主義であったり神経質な人がはいりがちな鬱の状態はこういうことになりがちだと良く聞く。まあそうでない人でも死にたいと思ってしまうことはあるのかもしれないけれども。

どいうことはだ。こうありたいという考えがなくなればよいわけだ。そうでなくても生きていける。うまくいいかなくても生きていける。

そもそもそうでないといけない理由は何だろうか?厳しい毒親の刷り込みだろうか?理想的観念的になって妄想世界で生きているだけの話なのではないだろうか。

だめな自分を受け入れてだめでもよいから今を生きて、ほんの少しの進化と休息を繰り返す、

それでいいのではないか。いったんは諦めるところから全てが始まるのだと思うよ、焦らなくていいよ

はいえ、努力してだめでした、というのと努力もしないで後悔するのとでは全く事情が異なる

諦めて小さな努力毎日重ねて、それでありのままの結果を受け入れていたってふつうのどうしようもないありふれた人だって受け入れる、それでいいんじゃないかな

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