それは花が咲いた時と花が枯れる時だ。
花が咲く時とはつまり自身が異性から性的な対象であることを自覚する時であり、花が枯れる時とはつまり自身が異性から性的な対象ではなくなってしまったことを自覚する時である。
そうして花開いている期間こそが女性は生物学的にも最も女性らしい時期ということができる。
それ故に、花が咲いてない期間やもしくは何かしらの弊害によってうまく花を咲かせることが叶わなかったりする場合においては、女性は自身が女性であることに強い戸惑いを持つことになる。
一部の女性において、男性的に振る舞うことに憚らない姿が見られたり、女性らしさを強要されることに対し強い反抗意識が見られたりするのはそのためである。
このことから女性が最も魅力的と感じられる瞬間とは、まさに今花を咲かせんとする瞬間と色あせ始めた花を落とさんとする瞬間であることは明白だ。
一部並々ならぬ努力を重ねるか類まれなる強運に恵まれることで女を謳歌できた女性に限り成熟した果実を実らせることで妖艶なる美しさを見せる場合があるが、おおよその場合その果実には致死性の高い毒、もしくは強い中毒性が備えられているので注意が必要である。
すでに花が散ってしまったことを認めることが出来ずいつまでも咲いているそぶりを続けるものもあるが、いくら見た目に美しい花であってもその花が生気を持つことはない。
本人の自由だとそれを周囲が容認している場合もあるが、わたしにはそれ以上ない残酷な仕打ちとしか見ることが出来ない。
最も愚かしいと思えることは、自身に咲いた花だけが持ちうる美しさに目を向けず、他人に咲く花の美しさを妬んだり模倣したりしようとする行為だ。
そうしてもとの花の色も形もわかぬほどに飾りつけた花を持ったところで得られるもの全ては虚飾であり、いつの間にか知らぬ他人の人生を歩かされることになってしまうのだ。
その時に気付いて虚飾を掘り起こしたところでもう手遅れである。
自身の花だけが持つ美しさはすでに永遠に失われてしまっているからだ。
世の女性の美しさがあるがままの姿で謳歌されるためには、最も身近にいる人間がその花だけが持ちえる魅力に気づき本人にそれが美しいものだということを教える必要がある。