平岡さんが先月末で辞めた。その少し前に打ち明けられて理由を聞いたら「興味がなくなった」と短い答えを貰った。2年間働いた結果がそれだったのだけれど、辞意を伝えるといろいろ止められたが、給料をあげれば残ると言ったらあっさり引いたそうだ。
平岡さんはすごい人だった。一緒に働いた2年間、僕はすごいと思い続けた。プレゼンテーションサーバ、ロジックサーバ、データベース、経路のアライアンンスとすべてのチューニングが行え、Beanだってばんばん修正していた。ドキュメントをばんばんつくって公開していた。マネージャが聞きかじってきた新情報はすでに実装までこなし、たまーに営業が持ってくるドラフト段階のキャリア案件の実装だって仕様書とリファレンス、サンプルから作り上げていた。「絵と音がつくれないからなー、これくらいはしないとね」と笑った顔を思い出す。僕がしらないところでまだまだすごかったのだろうと想像できるくらいすごい人だった。
まずマネージャが「平岡ならこれくらいできたぞ」と怒っているのをよく見かける。営業から「平岡さんなら次の日の午前中にはもらえたんですが……」と上司にいいよる。公開サーバのチューニングだってインフラ部門担当者が2人がかりで今週今日までかかってまだ解決していない。平岡さんならもっとはやく解決できたんじゃないかな、と思っている。言わないけど。
平岡さんが入社したころはみんながすごいとおもっていたんだろう。そのうちみんなが平岡さんに「慣れて」しまう。そして平岡さんを想定して計画を考えるようになってしまったのだろう。あれほどすごい人を「最低限:平岡」という基準にしてしまったのだ。結局、烏合の衆が残った。たばになっても平岡さんには届かない。
計画を左右するほどのすごい人を、どれくらいの給料で使っていたのだろう。でも平岡さんが辞めた理由は給料の問題ではなく「興味がなくなった」のだという。本当に技術が好きな人は給料で満足を判断しないのだ、とよく見かける言葉の意味がよくわかった。
会社は平岡さんを満足させ続けなければならなかっただ。いや、満足できないくらいあたらしいものを提供し続けなければならなかったのだ。かわりに給料を出すならまだしも、その更改を願ったらあっさり彼を手放してしまった。どれほど釣り合わない値段で平岡さんを使っていたのか想像しているのだろうか。
平岡さんのように「都合のいい人」と同意の関係が構築できれば、それは幸せなのかもしれない。だけれど、もし、居る理由がなくなったらあっさり興味のある場所へと移動してしまうのだろう。無邪気に。そして平岡さんなきあとも、会社は続く。都合のよさはもうない。あれほどの計画を左右する人を手放してしまってもまだ、平岡さんを基準として考えることになれてしまった自分を理解もせずに。