人間がさ、食べ物に感謝しろとか言ってるのももうなんか違うようにおもうよ。
そりゃしないよりはしたほうがいいのかも知れないけど、やっぱり人間の傲りじゃないの。
人間以外の生き物は自分の食べるもの、摂取する栄養に感謝なんてしてないとおもうね。聞いたことないから知らんけど。
生きるのに必要だから食べて生きてるだけでしょう。食物連鎖のほぼ頂点になってしまったんだからごちゃごちゃ言ってないで楽しく食べればいいじゃないの。粗末にするとか、痛めつけて殺すとかしなければさあ。
その肉が、かつて生きていて、(殺されて)死んで肉になったっていうことを知っている必要があるのは、それを知らないで粗末にあつかって無駄にしてしまう可能性があるからであって、かわいそうにおもうためではないんじゃないかと。無駄にしてしまうのは悪いことだからね。そりゃね。無駄に殺すのは意味がないからね。無駄じゃなけりゃいいんだよ、だって食べなきゃ生きていけないんだから。
もちろん生産者に対する感謝っていうのはあるしあってしかるべきだとおもう。人間どうしのやりとりだから、たとえ対価との交換だとしても、お互いに感謝しあうってのは円滑なやりとりのために有意義だろうし。
そもそも感謝ってコミュニケーションのひとつだとしたらおもにヒトヒト間でのみ成り立つものじゃないの。
動物ともコミュニケートできるよ! って言いたいひともいるだろうけど、人間ってのはコミュニケーションの何割かを言語がしめる生き物なんだし、(表情や仕草やその他もろもろの)非言語の部分も、人間とそれ以外の動物とではもともとの造形が違うから、正しくコミュニケーションとれてるって言えるのかわからんよなあ。人間どうしでさえ怪しいってのに。
なにが言いたいかっていうと、「動物を殺すなんてひどい!」っていう立場の菜食主義に対して、「わたしたちは動物(や植物)に感謝して食べている」と反論する非菜食主義に違和感をおぼえるっていうそんなようなことで。
感謝すれば食べていい、生命を尊重すれば食べていい、っていう言いかたには、(食べるためとはいえ)動物あるいは植物を殺すのはやはり悪いことだという、なんていうか後ろめたさみたいなものが含まれているようにみえる。
何度も言うけど好きに食べたらいいとおもうよお! 粗末にしたり、痛めつけて殺したりしなければいいとおもうけどなあ。
かつてその肉が生きていたのだと理解していることとその肉に感謝していることとは別物だし感謝したからなにになるっていうんだ、必要なぶんにとどめられるように理解しておくことのほうが重要だよ。感謝って言葉がどうも上滑りしてるようにかんじる。
へんに「生命を尊重して食べている」って姿勢をみせるから菜食主義を煽るんじゃないの。
生きるのには食べることが必要なんだよ。ただただそれだけだよ。
おまえが殺されても文句を言わないのならそれでいいよ 殺されるのは嫌だなあと思ってる人たちが感謝とか言ってるので
でも、いつかきっと私は貴方を食べてしまうわ 食べちゃいたいほど好きなのだもの
今まで育ててくれた食べ物にマジ感謝