2014-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20141123123309

基準すり替え」ではなく「実際に基準が違うのだ」ということ。

違法かどうかのラインは、フィクションかどうかとは関係が無い

なのに、いじめ正当化する時だけはフィクションかどうかをライン引きの基準にしている

まさにこれがインターネットとの付き合い方の正しい姿勢なわけ。

インターネットなんていうのは最初からいかがわしいもの」「混沌としているもの」「ムチャクチャもの」として我々の生活に入り込んできて、そこへどう法律が介入するかで長年あれやこれや試行錯誤している。

法律は後から介入する形で入ってきているという歴史がある。

昔の人の格言で「人を見たら泥棒と思え」というのがあるが、ネットこそまさにそこにあるもの全ての実在が疑わしいものであって、そこにあるものを信じてはいけない。

という姿勢パソコン通信からインターネット時代への常識は作られていた。

ネット通販などはそんな世界現実とのリンクを持ち込むため、法律とともに成長していった。つまり法律が干渉する世界法律が干渉しない世界ネット上では基本的に別だということ。

別だが隣接してるので、踏み越えてしまう者は後を絶たない。が、踏み越えない世界ではもうムチャクチャ世界として誕生し、現在継続してるのがインターネット世界なんだ。

例えば君だって死ね」とか「ゴミクズ」とかを喧嘩から使って問題ないというけど、現実世界では使わないだろ?(使ってたらゴメン。でも良識ある大人は使わないものだ)。

から俺は、元の青木何たらさんが小学生の振りしてどうこうって言うのを基本的肯定するよ。ネットの正しい使い方だと思う。

  • なに言ってんだおまえ フィクションかどうか、と 違法かどうか、は別の話なんだよ フィクションだから問題なし、なら、ネット上での殺害予告も問題ないんだよ それだと困るから低...

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