2014-07-14

戦争悲惨写真動物愛護写真シェアする人

戦争悲惨写真や、

動物愛護の為の動物の惨殺写真シェアする人がいる。

シェアすること自体に悪意はないと思う。

しかしそれが何のためにシェアされているかということを深堀すると、

それはすなわち悪意と同等の意思表示にもなりかねない。

こんなことを知っている自分凄い、

戦争反対自分凄い、

動物愛護の私偉い、

という承認欲求からくる共有ならやめてくれ。

そんなもの自己満足の為の害悪に及ぶ。

自己満足という観点からすると、

惨殺な写真をまき散らして喜んでいるサイコと一緒だ。

それが結果論、何かを啓発することとなったとしてもだ。

承認欲求を一切排除しろとは言わない。

それが実に、承認欲求からおこるものではなく、

起こっている社会問題を解決したいがための行動なのであれば、

もう少し頭を使って適切なアプローチがあるはずだろう、と言いたいのだ。

そのような行動が、社会への糾弾が、

全く意味をなさないとは言わないが、

少なくともSNSへの共有は不快すら生めど、

何かを変える力はないし、

そもそも共有者(あくまで発信者ではなく共有者)にそのような意思があるとも思わない。

逆説的なことを言うと、

何かを変えようとしている人は、

facebookシェア画像を見たがゆえに行動するタイプはいないように感じる。

これはあくま感覚値だけれども。

からもうやめてくれ。

これはある種、美学問題として。

かっこ悪いって言うてる。

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