2014-07-02

自分語りからの他人の弱さ

大学に入って、飲み会という文化が始まり相対的に観た自分の社交性の無さをまずいと思い、呼ばれた飲み会はすべて参加し、どんな会話をしているか、どんな相槌を打てばいいかを、ストレスお腹を痛くしながら勉強した。

社会に出て、目上の人とうまくつきあう方法がわからず、試行錯誤して、人ごとに反応が良かったリアクションを元にコミュニケーション法を研究し、構築した。

職場飲み会は、大学飲み会とは違うから、また勉強した。気を使いすぎて気持ち悪くなり、食べ物を受け付けず、空腹に酒ばかり流し込んだり。飲み会からの帰り道は毎日一人反省会

そんなの普通なんだろうけど、根本的に他人の感情に興味がないスキゾイド人間泥縄作業だからストレスが溜まるし、アラが出る(気質言い訳にするのは良くないが)。

そしてそんな風に必死に構築してきた自分を、ある知人に冗談交じりに「コミュ障」仲間にされ、どうせお前の過去黒歴史連続だろう、と。

そんなに、私は滑稽か?駄目か?

それならそれで構わないけど、なぜ私にそれを言う必要があるんだろう。

私のことを嫌っている様子ではない。

私のことをわかっているアピールか?

それとも、親近感を持っていた対象コミュニケーションスムーズに取れるようになって面白くないのか?

酒が入って、年下の異性に甘えているのか?

いずれも否定できない。

上記を踏まえると、劣等感を埋める自己愛のための同一化&投影、とかもありそうな感じ。

その人はその人で苦労しているんだろうけど、引きずりこむのはやめてくれ。

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