2013-05-25

高校同窓会

同期から「今回は幹事期生にあたるから手伝ってほしい」と声をかけられたのは2011年の暮れのことでした。部活もしておらず、友人も数少ない、しかも総会・懇親会に行ったこともない、そんな私に実行委員が務まるのだろうか。

同窓会には興味もないし、行って語るべき思い出もない。大体、10年以上も会っていない元友人と何を話せというのだろう。友人ならまだしも、先輩・後輩・先生方と語るべきことは部活もしていない私には到底見つかるわけがない。そもそも会話というものはある程度の共有事項があって初めて成立するのではないだろうか。ほぼ初対面の人間、あるいは卒業しての10年間を共有していない人間同士がただ同じ高校の出身であるというだけで、会話が弾むわけがない。結局、酔った寂しい帰り道、タクシーの運転手さんと交わす、他愛のない天気の話と同じことだ。いや、次のないタクシー運転手との会話の方が幾分か気が楽である

準備を重ね、参加者に楽しんでもらう努力はした。元々、幹事気質なのか下準備や当日の運営は好きな方である。とことん裏方向きだなと自嘲しながら、会は滞りなく進む。

参加者の様子はどうだろう。部活の同士、或は恩師との会話や食事を楽しんでいる。うん、悪くはない。ただし、私の入るべき会話は存在しない。いや、入れる会話はない。そもそも私は人見知りする性質なのだ(自慢していうことではないが)。それでもかなりの勇気を出して、各テーブルを回り、自己紹介をし、今日は楽しんで行ってくれみたいなことも口にした。それでも私を受け入れてくれるテーブルはなく、やや引き気味の愛想笑いが却ってくるだけ。

なんだというのだ、何が同窓の友だ。こんな会はキラキラした高校時代を謳歌した野球部だかサッカー部の連中が仕切ればいいのだ。食物連鎖ピラミッド肉食動物連中がやればいいのだ。いてもいなくても同じ、ミジンコのような私がやるような事ではないのだ。そんな事は重々分かっていた。でも、少しだけ、ほんの少しだけ期待したのだ。私には訪れなかったキラキラした高校時代が疑似体験できるのではないか、と。

――ビールうまい料理は食べる気すら起きない。腰を落ち着けて食事するスペースすらミジンコの僕は確保できないでいる。周りは委員長責任感で食べられないのだろうと、勝手にいいように解釈してくれる。お気楽なことだ。マジックショーが始まった。今回の会中で一番笑い、楽しかった時間だ。話し相手のいない私にとっては唯一の。

こんな鬱屈した感情を持ちながら、今年の会報誌に載せる報告書を書いている。

「友人、恩師とたくさん話せて楽しかった。みんなもぜひ参加してみてください」と。

ミジンコはもうほっといてくれ。高校に思い入れなんかないんだよ。

  • 実行委員同士で盛り上がらなかったの? 恩師と、人見知りネタで話せかなったの? 各テーブル回っても会話弾むはずないよ。 自分もこないだ20年ぶりに初めて行ったけれど、他のクラスの...

    • ありがとうございます。 実は同窓会自体は昨年夏に開催されたんだ。 会報誌の締め切りが近づいて、思い出しながら書いてたらテンションが変な方向へ。 ほんとの感想を書くとさっき...

  • ミジンコなのに同期から声をかけられるんですねえ。

記事への反応(ブックマークコメント)

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