私は煙草を吸います。何度か禁煙しようと思いましたが、結局できませんでした。私はどうして煙草を吸うのかを真剣に考えてみました。その理由を書いてみたいと思います。他の誰でもない、この私が煙草を吸う個人的な理由は、「煙草を吸うと気分が切り替わるから」です。私はうんと子供の時から、暗い性格で、悲観的な物の見方をし、取り越し苦労の耐えない人間です。こんな性格ですから、いつも気分は憂鬱で、不安ばかりが心の中で場所をとっています。そんな時(つまりいつもです)、煙草を吸うと気がまぎれます。
ところで、煙草を吸っている人がリラックスしたり気分転換を感じたりすることはニコチン依存症による錯覚であると本で読みました。煙草を吸うことによって自分で自分にストレス、不安感を与え、喫煙によってそれらを取り除くのだと。喫煙によって取り除くことのできるストレスは煙草によるものだけで、本質的には何らストレスは解消されていないし、不安が軽減されているわけではないのだと。
このことは本当であると思います。とても説得力がありましたから。でも、私はとても気分転換が不得手な人間であり、心はいつも憂鬱です。煙草を吸っても吸わなくても憂鬱なのです。喫煙者になる前から暗い人間だったのですから。いつも不安なのです。そしてそれを紛らわせる手段を私は持っていないのです。
気分転換の上手な人がうらやましいです。しかし、運動が気分転換になるのは運動が好きな人であり、恋愛で満たされた気分になるのは人間が好きな人であり、欲しいものを買って気分が高揚するのは欲しいものがある人であり、映画やテレビなどの娯楽がストレス解消になる人は、当然、それらのものを見ることが好きな人です。
「ストレスを減じる」、「気分を変える」ということを喫煙によって達成するのは愚かなことであり、人にも迷惑をかけてしまいます。でも、煙草やお酒といった頭の働きを強制的に変化させるもの意外の、身の回りにある目に映るものによっては、どれをとっても自分の気分は慰められないのです。リラックスする、不安を和らげる、そんな体験、私には一生縁のないもののように思われます。
それでも私は煙草が好きではありません。そんなもの必要としない人がうらやましいです。それは健康でいられるだとかお金が貯まるとかいういったことではなくて(そういったことには興味が沸きませんから)「心が柔軟で、なおかつ自分でコントロールすることができる」というその性質、能力がうらやましいのです。