最近、お笑い芸人の生活保護、扶養義務逃れが注目されています。
私自身、考えた結果
(a)「子は親を養うべきである」
(b)「親族は助け合わなければいけない」
(c)「親族間での扶助は、国による扶助よりも優先的に行われるべきである」
(d)「扶助する余裕がないのなら、国による扶助を使うべきである」
の4つを想起できました。道徳観とは信じられてるからこそ道徳観として成立しております。では、(2)信じられてる理由とはなんでしょうか?
●(a)について
あまり学が無いので、歴史的経緯などはわかりませんが。子は親に養われていた存在であり、大きくなって「恩返し」するべきである。つまり、ある種のギブアンドテイクの原則の様なものがあるのではないかなかぁと思いました。
●(b)について
(a)とは事なり、親族だからと言って「恩返し」の義理が沢山あるとはなかなか想起できません。叔父、叔母、兄弟に限定して考えてみてもそうです。私自身、親戚関係がほぼ皆無なので(b)の道徳観はあまり信じてはいません。人間同士の扶助と親族同士の扶助に違いを感じられないです。
●(c)について
さて、この道徳観は私の思い違いなのかもしれませんが。親族による扶助が国による扶助より優先される理由とはなんでしょう?
3人家族の家と1人暮らしの家があるとして、両方が生活保護を貰っていた場合・・・どの様に分配すれば公平でしょうか。一人分の生活保護費をsとすると3s、sとの分配が公平でしょうか?しかし、3人家族の世帯は同居する事で家賃や基本料(含めるのが妥当か分からないが余暇も)などで恩恵を受けていますから、一人頭の金額が同じであっても1人暮しの世帯より得です。(もちろん、生活満足度は家族関係性に寄りますが)故に分配が不平等となりますから、3s-xを生活保護費として受け取るのが妥当となります。(実態の制度は私、知りません。そんな気がするだけです)
家族が連帯していると、税金が少なくて済みます。だからなんだ。
まぁ、家族が連帯してるなら、自動的に国の支援より先になってしまうということなのかなぁ。(a)の道徳観が平常運転するなら金銭的援助も国の支援より自動的に先になってしまうという事なのだろうか・・・。そもそも道徳観なのかこれ。
●(d)について
出来ない事はしなくていいという事か。
どこからが出来ない事であるかの基準は曖昧である。審査基準も曖昧。
さて、
(2)その道徳観が信じられている理由は?
に皆さんなら、どう考えるでしょうか?
また、これからそういった道徳観は変化しつつあるなどと考えたことはありますか?
また、本当に妥当なのでしょうか?