点数を貰うのや馴れ合いが大事って意味じゃない、そこを勘違いするからおかしなことになる
ちょっと長文になるが
絵にかかわらずなんでも他者がいてはじめて力がわかる
文章読んでもらう、料理食ってもらう、プログラムを使ってもらう、格闘で相手と戦う
それで自分のできる事が素晴らしいんだ!って客観的に思えるようになる
一人でも理論的には上達できるが、哲学者や仙人にでもならないと精神的にもたない!普通は無理ッ!
人にみてもらう事で精神的な燃料は補充できるし、自分の表現で他者に燃料を補充することもできる
これを馴れ合いだ自己愛だといって否定するやつは表現むいてない
上手い下手の問題じゃねえ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/cg/1323767312/742
「上手くなりたいだけなら (ニコニコ|Youtube|pixiv|tinami|Twitter|その他なんちゃらいろいろ) にうpったり張ったりしなくていいよね。点数欲しいだけだよね。ちやほやされたいだけだよね。」
ネットという舞台でだれもが気軽に表現できるようになって、こういう批判をしたがる人が本当に増えたと思う。誰にも見せてないけど満足してるよって人は、自分が第一の観客なことに気づいていないだけじゃないか。
人にいくらパワーを与えてもオリジナルが磨り減る事はないのが表現。一つのオリジナルから、受け取り手それぞれの中で様々な形でパワーになるのが表現のすごい所だし、面白い所だ。
自分の表現で他人が心を動かすのは、ものすごくエクスタシーを感じる。これほど気持ちのいいことはないよ。本能的なものを満たしてくれる。他人を動かすのが他人に与えるのが気持ちいいからしている。俺はモチベーションを維持するのにこれほど質の良いドラッグを他に知らない。馴れ合いだと頭から否定する人は仙人にでもなれってんだ。
オープンソースってなんで成り立ってるの?無償でなんでわざわざ参加するの?と知人が言ってたがこれも似たようなもんじゃないのか?自分の仕事で他人が何かを与えられるのは、エクスタシーを感じることだからじゃないのか。もっと言えば、自分がやったことが文化に還元されるのはエクスタシーを感じることだからじゃないのか。この気持ち良さは金で買えることじゃない。
この気持ち良さを一切理解しようとしない、消費するだけの人とは分かち合うのが難しい気がする。