人に話す出来事でもないけれど、やはりそれなりに思うところがあったので、
増田に書いておこう。
数週間前、土曜早朝、住んでいる部屋の前から飛び降り自殺した人がいた。
ちなみに8F。外が騒がしいなーと思ったら警察の方々が大勢いて、
殺人犯でもこのマンションに逃げ込んだのか!?と焦っていたら、
玄関外の廊下に揃えたスニーカー・眼鏡・タバコの箱が行儀よく置いてあって、
あぁなるほど…と思った。
うっかり顔を合わせなくて良かったな、と思った。
この部屋はダイニングにある窓を開けるとすぐに玄関外の廊下が見える構造になっていて、
その頃いつも窓を開けていたので、顔を合わせる可能性は大いにあった訳だ。
もし出会ってしまって、目が合ってしまったら、声をかけて、止めたかな?
でも、止めたところでその先生きていく手助けは何もできない。
90%自殺だ、と思ってもつい目を逸らして部屋の奥へ戻っただろうか。
恐怖からつい声を掛けただろうか。
個人的に、自殺が悪いことだとは思っていない。
後者の不眠症理論は私が実際に高校生の時に思っていたことだが、
その当時まさか眠れなくなるなんて事があるとは想像できなかったし、
社会人が農作業する暇・精神的余裕・金って…なんて項目は考える由もなかった。
死が手間的にも現実的にも一番リアルで苦痛から自分を救う道だったんだろう。
「死ぬ勇気があるなら何でもできる」の何でもって何?何を言っているの?
親・友人・家族・子供への配慮を超えてしまった上での行為なんだろうから。
止めなくても「目が合った」だけで止まったかもね。 (断言はできないけど、そして完全に止めることはできないかもしれないけど)
自殺関連の話題で死ぬ気になれば何でもできるっていう人よくいるよねー こういうこといっちゃう人は自殺が勇気を振り絞って行う勇敢な行為と勘違いしてるのかね? 自殺はあらゆる...