2011-03-14

あたたかいもの




被災地で、懸命に生き抜く

命と、犠牲となってしまった命

そしてそれが少しでも少なくなるようにと

いままさにこの瞬間も、心とからだをもやし

救いのためのあらゆる行為をささげている人たち


彼らのいずれでも、心を、すこしでも投影してしまったら

とても立ってはいられそうになく、なにも感じようとしない自分がいる

そのせいか、あつくれない、みんなのようにがんばれとか

こうしようああしようなんてこともいえない、オレはいつもどおり

冗談ばっかり言っている


そしてそれを見守る我々は、はからずとも試されているらしい

みくしーでも、ついったーでも、情報の精度や粒度はともかく

拡散し、結果的にそれが誰かの何かにならなくても


まぎれもなくそれをおこしている行為は、

心のなかのあたたかいものから

うまれている


みんながそれぞれ、気付きや、善や自分の思う正義

発信して、拡散している

中にはあつくなりすぎている人もいれば、無関心な人も

使命感にかられた力をもつ人たちや、

いわれもなく責められる立場に追いやられた人も

もしくはあつくなりすぎて心ない言葉をかける人もいるかもしれない

あるいは何も発さない人も

色々な相容れないものが生まれて、ぶつかっているが、

一歩はなれて考えれば、かんたんだ


どれも善意から生まれているかもしれない

からオレがしんじ

もっとも大切なこと


我々のおくる日常被災者を支えることにつながるということだ


援助や募金からはじまるあらゆる、

あたたかいものから生まれる行為が、

直接的に、いま懸命な人たちに結びつくかどうか


これを判断するのは政府であって、我々ではな

節電が必要なら、彼らがそれを伝える

募金、物資を送ることやボランティアが必要なら

彼らが呼びかける

その呼びかけに従うことが、国民である我々のあるべき姿で

いま日本政府の良し悪しはともかく

こういう日のために彼らはい


そして我々は、出来る限り彼らに従って

日常をすごし、健康に生きて、経済を動かす

とおまわりのようで、おそらくこれが一番の近道だ


自分の手を使って助けるということは、動物でもできる


でも一人ひとりにはそれぞれ役割があり

きわめて困難な救助や、経済戦略、政策を担うのは、

プロフェッショナルに任せたらいい、そうするしかない


我々、人間には、日常をすごすことで

我々全体を守ることにつながると考える

知性と、気高さが、あるはずだ


節電や募金などの、手を使って助けることをやりながらも

いつもどおりに仕事をして、わらって、お金をつかって

おくのおくの、ねっこの部分を、支えて、生きたい

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