その、きめ細かいサービスを世界で展開すればさらにシャアを拡大することが出来るという甘言
経済新聞や経済系の雑誌でよく見るオジサマたちの大好きなフレーズ
それって本当だろうか?
ふと、夕刊を読んでいてそう思った。
だけど、それは社会が循環しているということを一切考慮に入れなければだ
だが、自分が品質の悪いほうを作っている工場の従業員だったらどうだ?
しかも品質を上げるために努力しても同じ値段で同じように品質がいいものがあるのだから
つまり、高品質のものばかり選ぶという行為は間接的に自分たちの労働への負担増の促進でもあるのだ。
それが眼に見えていない純粋な人たちだけがこの世界に存在していて
残業を月に150時間超もしているような人間たちの作った製品を喜んで買うだろうか?
顔の見えるサービス業ならどうだろう?
自分がこんなコトさせられたら屈辱的だと思うような
過剰な接客をする人たちの店ばかり喜ぶだろうか?
そういう店が繁盛することによって自分たちもそれを真似しなきゃいけなくなるかも
なんて
微塵も思わない素朴な人々だろうか?
世界中の人々は
それでも日本式のきめ細かさを尊ぶだろうか?
日本人はもしかしたら、その視点がなかったからこうなってしまったんじゃないのか?
きめ細かさが発展したのは
ただ単純にそういう狡賢さがなかったのではないだろうか?
人に求めれば求められるようになるから程々のところで妥協しておかなくちゃ
過剰に求め過剰に求められるようになり
次第に異常なきめ細かさなんてものが出来てしまったんじゃないのか?
気持ちが悪いと避けることはないのだろうか?
きめ細かさに病的な臭を感じ取り
逃げることはないのだろうか?
ふと、そう疑問に思った
多少不器用でも楽しそうに商売している人間からモノを買いたいと思うじゃないか
だって、自分たちを傷めつけてまで品質を追求された人間ばかりをもてはやすんじゃ
自分たちも自虐的な商売をしないといけなくなることは眼に見えているから
手を出せなくなるような気がするんだ
徹底したきめ細かさ
薄ら寒く感じた
違うよ 日本人がきめ細かいのは血に備わった単なるフェチズム 安部譲二がいうには、 作業所の囚人ですら椅子の部品なんぞを精密に作りはじめ それぞれの部品を持ち寄り隙間も無くは...
自己満足じゃねぇんだよな。 これは日本が島国で、長年統治が安定して行われてたことに起因する。 つまり、客に質の悪い商品をつかませてドロン、という焼き畑農業的な金の稼ぎ方が...
的外れ。 日本のサービスが海外で成功しない理由は、サービスが過剰だから。 中国でも、日本的な「時間的正確さ」「品質」なども注目されてきてはいるが、日本ほど要求がシビアじゃ...
まさにその通りで 結局は限られた資源で最大の効果を上げようとするから 必要十分が最上になる。 それが現代の日本経済の失敗の解なのは一応理解してるつもりです。 でも、世界の...
たしかに日本人のそういう性質はあるかもしれないですねー 俺も言われてみれば完璧主義っぽいし でも、それって誰かに求められてたり、 商売で成功するために必要なことなのかな...