はてなキーワード: 犬も歩けば棒に当たるとは
で、新幹線に乗ると二回に一回は前の席の人が「リクライニング下げてもいいですか?」と聞いてくる。
リクライニング下げていいかだと?知るかボケ、そんなことはJR東海に聞いてくれ。
俺はのぞみの座席の設計者でもないし、乗車規定を決める担当者でもなんでもない。
そんなこと百も承知のはずなのに俺に聞いてくるのは、このバカがルールとマナーを履き違えているからだ。
ルールの守備範囲は権利で、マナーの守備範囲は気分、もしくは感情だ。
人と人が狭い社会で肩ぶつけ合いながら生活している以上、権利同士が衝突することがある。
犯罪行為はもちろんだが、例えばそれ自体としては合法な営利活動である工場操業が、住民の安眠を妨げている場合、ルールとして夜間の操業が禁止されることもあるだろう。
工場の営利追求も、住民の幸福な生活も、どちらも守るためにはルールを設ける必要があるし、そのルールは権利を守るためである以上、公権力その他によって強制されるべき性質のものだ。
ルールを守って生活していれば、誰の権利も壊さないし自分の権利も保たれるので、ルールは守るべきだと思うし、他人にルールを守ることを強制して望ましいと考える。
一方のマナーはそうではない。
満員の神社にベビーカーで行く、電車内で子どもがうるさい、新幹線で肉まんを食べられて臭いというのは、どれもマナー違反だからやめろと糾弾されそうだ。
なんとなく邪魔な気分になる、うるさくて眠れない、臭くて嫌な感じがするというのが理由だろう。
だが、権利と違って気分や感情は、誰かがそれを害されたことをもって、禁止、ないし強制する性質のものではない。
犬も歩けば棒に当たるではないけれど、一歩家の外に出れば思いがけない災難だって幸福だってある。
それが嫌なら家に閉じこもるか、誰も人のいない野山を駆け回っていればよい。
生きている以上、誰かに迷惑をかけるのは当然なので、いちいち気にしていたら仕方がない。
俺も他人から迷惑をかけられるのを見越して、万全の準備をしながら暮らしている。
近所のガキがうるさいので家では耳栓、電車で大声の酔っぱらいがうるさいので電車でも耳栓、ただでさえ混んでる神社にベビーカーでこられると腹立つので初詣にはいかない。
こう考えて暮らしていると、本当に生きるのが楽になった。
イラッとすることは多い。
ファミレスの接客の粗さ、医者の横柄で適当な診察、市役所のお役人態度。
そんな場面に出くわすたびに心の中で自分の権利が侵害されたのか、感情が害されただけなのかを考え、後者の場合はこういうこともあるさと納得するようにした。
で、表題に戻るわけだけれど、新幹線でリクライニングを下げる下げないはルールでなく、マナーの問題だ。
だから、「リクライニング下げてもいいですか?」と聞かれるたびに俺はこう答えている。
「僕は下げられると嫌だから下げてほしくないですが、あなたの勝手なので好きにしたらどうですか?」
大抵相手はムスッとした顔をするのだが、俺はこれが百点の回答だと自負している。