2024-05-22

匿名」は「本音」が出て来ない、という現実

 「匿名」は気軽に本音が書き込める場だという言い方がまことしやかにされて来た。

 だから匿名ネットには、本音が溢れてると。

 まあ、匿名でならと一、二回書き込むくらいの奴はそうかも知れない。

 でも、匿名ネット中毒みたいになって、恒常的に毎日何度も書き込む奴ほど、もっと別のことにハマってると増田は感じる。

 

匿名ネットはすべて、最終的になりきりチャットになる

 そう、それはロールプレイだ。

 これは特定の誰かに限った話ではなく、人間一般的にそうなのだろうが、匿名で書いていると「自分言葉であることを忘れる。

 そして、普段自分キャラクターに合わないから言わないような、台詞がかったことをつい言ってしまうことがある。

 これは匿名ネットに対する依存度が高くなるほど顕著になると増田は感じる。

 この文章自体、記名で書くなら同じ文体にするかというと甚だ怪しい。

 もっと自分キャラクターを出した、だである調よりですます調のものにするだろう。

 それがさらに極まると、自分でないキャラクターを演じたコメントを湯水の如く書き込むなりきりチャットのようなネットの使い方になる。

 

匿名個性的仮面になる

 匿名においては、人は名乗りさえすれば成功者になれたり専門家になれたり実力者を装えたりする。

 本来「気楽に本音を書く」ためには、出来るだけ自分属性は隠した方が良いはずが、匿名ネットに入り浸るようになると自分存在を認めて欲しくなり、そこに匿名の言ったものがち感が合わさったとき、ある人は自分を好きなように偽る快感を覚えてしまう。

 

 こうなるともう書き込まれることも、本音ではなくただの「言ってて気持ち良いセリフ」になる。

 本音ではないので当事者性もないし、内容も無責任になっていく。矛盾しても気にしない。誰かに嫌がられても気にしない。

 「露悪」も「偽善」もこの意味では大差ない。ただ自分を偽るということが気持ち良い娯楽なのだから

 Windows 95発売から29年。2ちゃんねるサービス開始からも25年。そのあいだ、匿名ネットというものに入り浸った人々の普通感覚はどんどん壊れていく。

 今一度ここら辺で正気に戻って、そもそも自分を偽ること」が異常なアディクションであることを確認したいものである

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