2023-08-26

付き合ってないのに一線を越える少年少女からしか啜れないものがある

付き合ってないのに一線を越える少年少女からしか啜れないものがある。

この一線とは性行為のことではない。

「お前そういうことは付き合うてからやるもんやぞ」と言いたくなるような距離の近い言動のことである

たとえば「僕の心のヤバいやつ」における、市川山田が付き合う前のボディタッチの数々。あれだ。

あいつら付き合ってないのに手を繋ぐし、ほっぺとか触るし、ベッドに押し倒したりする。付き合ってないのに。付き合ってないのに。

もうこれは一線越えてると言ってしまってよくないか恋人じゃなきゃやんないだろそんなこと。でも市川山田はやる。簡単に一線を越えてしまう。嬉しいなぁ。ありがとうなぁ。

付き合ってないのに一線を越える少年少女には危うさがある。世間一般ルールや順序を踏み越えて、彼らの間だけで通じるルールのもとに行動しているからだ。それが危なっかしくて美しい。

脈を探り、告白し、恋人という立場確立された上で初めて手を繋ぐ。これがおおよその大人の思い描く順序だ。けれど、彼らは付き合ってないのに手を繋ぐ。シンプルに、お互いが繋ぎたいと思っているからだ。

実のところ、先述した順序は双方の合意を取るためのプロセスひとつに過ぎない。だから、手を繋ぎたいという双方の意志さえ合致していれば順序を飛び越えて繋いじゃっても構わないのだ。その自由さこそが美しい。

彼らには彼らの間でだけ通じるルールと、言語がある。言葉にして伝えなくてもお互い手を繋ぎたがってることぐらい分かってしまう。人はそれを愛だとか絆だとか呼ぶ。

おじさんはね、そういう関係性を啜って生きている妖怪なんだ。きみたちが付き合う前に手を繋いだり、独占欲をちらつかせたり、距離を近づけたりするたびにね、おじさんの心の中のノブが大喜びで「ちょっと待てぃ!」ボタンを殴って、「付き合うとるど!!!!」と爆笑するんだ。大悟も思わず椅子を立ち上がって腰に手を当てて「これはやっとる」と空を仰ぐんだ。分かるかい、そういう瞬間だけがおじさんの人生の楽しみだったんだ。

でもね、きみたちね、付き合ってしまったね。

付き合うのはすごくいいことだ。そこまでのプロセスも本当によかった。おじさん胸が熱くなってね、きみたちが恋人になった回では人目も憚らず泣いてしまったよ。

のちにこの回のヤバさを人に説明したときにはね、「カイジの沼編で3段目のクルーンパチンコ玉が溜まり切ってとうとう穴に落ちたんですよ、そういう回です」とまで言ったからね。感動に震えたのは確かだった。確かだったんだよ。

でもね、付き合ってしまっただろう。そうすると、きみたちはもう「付き合ってないのに一線を越える少年少女」ではないんだ。

きみたちはもう危なっかしくない。だからおじさんも、きみたちが不当に距離を詰めるたびに「オイオイオイオイ」だとか「あのねそういうことはね順序を踏んでね」だとか、慌てて口を挟む必要がなくなってしまったんだ。それがね、ほんのちょっとちょっとだけ寂しいよ。

でもね、きみたちの幸せが一番だからね。おじさんは祝福するよ。ひとつ時代卒業して、晴れて恋人になったきみたちの未来を。妖怪・付き合ってないのに一線を越える少年少女情緒啜りおじさんはここできみたちを見送ることにする。幸せにな。幸せになぁ。

おや、きみは僕ヤバから餌の取れなくなったこの哀れな妖怪心配してくれるのかい大丈夫だよ。「付き合ってないのに一線を越える少年少女」はまだまだ世の中に存在しているからね。

今おじさんが注目しているのは「邦キチ!映子さん」の2人だよ。あれはいものだねぇ。あいつら本当に付き合ってないのかなぁ。一線越えまくってるのになぁ。おいしいなぁ。おいしいなぁ。

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