2023-03-29

anond:20230328202641

日本伝統的にLGBTに寛容だった」というか、そもそも性欲とか性的アイデンティティについての理解認識構造全然ちゃうかったんだよね。

今だと、男性に対して性欲を持つ(男性への性的指向を持つ)男性は、「ゲイ」としての性的アイデンティティを持ってて、基本的には同じゲイの人と交際するわけだよね。タチとかウケみたいな性交時の役割概念はその下に来るし、今時だったら、自分はタチウケどっちというのが明確でない人(リバ)も多くいると思う。

昔は、男性同士の性関係は、男役側と女役側(たとえば陰間)、年長側と年少側(たとえば稚児・兵児ニ才)という非対称な関係になっていた。んで、このうち男役側とか年長側は、世間的には「ふつうの男」だった。相手ちんこを挿入する側は、相手性別が女でも男でも、その性的能動性を根拠に、本人の男性自体に疑いを持たれることはなかった。時代地域によっては「女色男色両方に通じてるのがいいんだ」みたいな言説すらあった。

一方で受動側、挿れられる側というのは、あくまで成長途中の一時的状態であったり(たとえば「年少側」は、いずれそういう状態卒業して年長側に移行する)、あるいは男性女性化した「特殊な」状態であったりした。陰間のイメージ江戸中期から後期にかけて結構変わっていくんだけど(中期には「女性にない清廉な魅力がある中性的存在」みたいな扱いだったのが、後期にはより女装女性化していく)、基本的にはずっと賤業として蔑視されていた(後期には梅毒問題もあって夜鷹の安い代替物みたいな感じになっていった)。あと、こちらも20代中盤には商売を上がるのが基本だった(つまり陰間にも「年少者に許された一時的性的受動状態」としての性格があった)。

そういう意味で、実は日本には、明治時代ドイツ系の性科学特に変態性欲研究)が入ってくるまで、「男色好み」や「陰間」はいても「同性愛者」はいなかった。①同性との性行為、②同性との性行為中の役割、③同性と性行為をする職業、はあっても、それを自らの性的アイデンティティと考える発想自体がなかった。「同性愛者に寛容だった」というわけではなくて、「同性との性行為に寛容だった」「能動役割の側の男性性は傷つかなかった」というのが実態

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