単純に思考停止してもいい
そもそもにビジネスというか仕事とか話題とかそういうもの自体にするのがよくない
なぜかってそれ仕事としてするなら「事件の生産性」が必要になるから
無いほうがいいもんだろ?
報道とか警察とか記録とかそういう「事件を扱うのはどうなのか」みたいな話になるかもしれんが
事件について知らなければならないことがあるとか知ってほしいことがあるというのは「報道」の仕事で
「事件について考えてみた」とか「事件の真相」とか「事件の裏側」という情報を営利目的で生産すべきものじゃない
ジャーナリズムが善悪の掛け値なしだからこそ現場への立ち入りが配慮されているところで善だとか悪だとかで売れる方向に商品化するのはそれと大きく方向を違える
ビジネスにすることについて深く掘り下げる必要なんてまったくないが
なんでもかんでもビジネスって言ってることについては厳密に何を言っているのか考える必要がある
事件や事故の記録だけを集めるというのも業種としてあってもいい
しかし「凄惨な・大きな・分類された」といった形で偏って収集することはそこに分類されることが「そうである事件」として評価をすることになるので、ビジネスにすべきではない
情報に扇動するような感情を書き加えるべきでもないしそういった描写を利用すべきでもない
事件を情報として生産してしまうのは犯罪者そのものだがそれは事件を生産しようとしているわけではない
何らかの問題を解消するために手段として犯罪を選んだり事故を起こしたりすることでそれは発生する
だが情報として「事件」をビジネスとしていれば閑散期に「事件」を発生させる必要がでてくる
声をかけたら事件だとか目線がいやらしい事件だとか大多数の意見で非難浴びせ「事件」にするだとかでてくる
実際に既存の問題や事件や犯罪を行うわけではないから ではなく新しい基準と価値観で「事件」を作ることがよろしくない
良い「事件」ならいいのでは みたいな言葉遊びも出てくるかとおもうが そういう表現の方法で包括的に「事件」の存在を許そうというのは質が悪い
そういう言い換えや表現方法といった手段で「事件」に扇動して私刑を誘導させたり社会的に追い込んだりすることを発生させるそれそのものがあるべきではない
そういうわけだ
https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1428199418113654788 「そもそもなぜ「事件をビジネスにする」ということが「配慮に欠ける」と感じるのか、をもっと深堀する必要があると思う」 ということ...
別に深堀りする必要はないよ 単純に思考停止してもいい そもそもにビジネスというか仕事とか話題とかそういうもの自体にするのがよくない なぜかってそれ仕事としてするなら「事件...
当事者性で終わる話