東京オリンピックの開催を僕はそれなりに楽しみにしていた。
2013年に2020年夏、東京でのオリンピック開催が決まったとき、その時は余り感慨は無かった。アルゼンチンから流れてきていた当時の首相の安倍、都知事の猪瀬、滝川クリステルの喜びようはなんとなく空騒ぎのような気がして直視できないような気がした。7年後の出来事が決まる。それが自分の住む街で行われるとはいえ7年先はやはり未来で、しばらくはオリンピックの事は心の辺鄙な片隅に置かれた。
そうは言っても東京の街は少しづつ変わって行った。旧国立競技場は柵に覆われてあっけなく解体され、看板には多言語の表示が増えていった。公式ロゴや新国立競技場をめぐるゴタゴタは日本のシステムやリーダーシップへの既視感的な幻滅とうんざりとした気持ちを新たにさせたけど、自分の中のオリンピックそのものの大まかなポジティブさには余り影響を与えなかったように思う。
1964年のことはもちろん知らないし、その時みたいに無邪気な美しい未来を思い浮かべることはできなかったと思うけど、イギリス人の友人が話していたロンドンオリンピックの時の街の高揚感を東京が感じるための準備は少しづつ工事現場の柵の向こうで進んでいるような気がしていた。
2019年の冬ごろ、用事があって神宮外苑に頻繁に行くことがあった。新国立競技場はほとんど出来上がってきていて柵の向こうのスタジアムは少し安普請にも見えたけど、少し空いたゲートの隙間から見えた芝生は緑で冬の午後の太陽に照らされていた。新国立競技場の他もすっかり模様替えしていくのかと思っていた外苑周りは思いのほか手をつけそうな感じではなく、古びた案内板は昭和の雰囲気もまだ保っていた。
東京の街のそこここに掲げられた(今も掲げられている)TOKYO2020の旗は、みんなが満足するわけではないけど、少なくともいっときの楽しみを持てる未来への予告のようでもあり、それを一緒に収めた街の写真は数年後になったら目が覚めて忘れてしまった夢を思い出すきっかけになるんじゃないかと思えた。
2020年はコロナウイルスで塗り込められた。当然のようにオリンピックの開催は誰にも望まれず、翌年への延期となった。その時でも翌年になったらこれまでのようなオリンピックが開催できると思った人はほとんどいなかっただろう。街にかかったTOKYO2020の旗は街灯にぶら下げられたまま古びていった。
そしてオリンピックの開会式まで一ヶ月も無くなった今日この文章を書いている。
オリンピックはおそらく予定通り開催されて、おそらく観客を少し入れることになるだろう。海外からの観客はほぼゼロだけどメディアにうつされる競技はそれなりに競技者たちの努力を伝えて、見ているものを感動させることもあるだろう。
でもそれが東京で開催されているということを住人として嬉しく感じられることはほとんどないだろう。本当だったら一生に一度あるかないかのような自分の街でオリンピックが開催されるという経験は、オリンピックのの抜け殻のようなイベントの開催に代替されて失われてしまった。
競技者の方の思いはあるだろうけど、僕は本当の正真正銘のオリンピックを東京で体験したかった。普段冴えない街並みがその時だけでも晴れやかに彩られて、少しの間は将来の不安なんかも忘れてスポーツに心を奪われたかった。たとえそれに多額の税金が注ぎ込まれていても、それが誰かの懐を膨らましたとしても、そして祭りの後に思ったような経済的皮算用が実現しなかったとしても、それは受け入れることができると思っていた。
あと三週間もすればオリンピックのニュースとコロナウイルスの感染状況のニュースが同時に語られる。どちらにより時間が割かれるようになるのかはわからない。ただそこにあるオリンピックは僕が体験したかったオリンピックではないし、僕が本当に見たかったオリンピックが自分の住む東京で開催されることはもうない。
コロナがなかった世界のオリンピックを夢想してしまう。 3か月くらい前に聖火リレーが始まり、毎朝ニュースで「今日は○○県に聖火が来ています!」と流れ、ご当地の名物や地元の学...