2021-03-02

「奇跡」超常現象ではない。考え方ひとつで容易に発生しうる

一世を風靡したゲームの有名なセリフにこんなものがある。

「(奇跡は)起こらないから、奇跡って言うんですよ」

美しい言葉ではあるが、しかしこれは根本的に間違った考え方だ。

多くの人々は「奇跡」と聞くと、上記セリフと同様に、例えば病気が突然治ったなどの

めったに起こらない超常現象ひとつだと考えるが、実はそんなことはない。

なぜなら、奇跡は考え方ひとつで容易に発生しうるからだ。

例えば、死に至る以外の事象奇跡一種として説明できる。

それは別に病気が突然治るなどの不可思議現象必要としない。

それどころか、病気が治らない、突然の事故にあったというマイナス事象でも、奇跡として説明できるのである

それはこういうわけである。突然の事故に遭った人物を例として考えることにしよう。

もし、その人が大ケガながらも死に至らなかったのであれば、そのことに奇跡を告げることができる。

「死なずに済んだのは、奇跡ですよ」というふうに。

それが軽傷ならば、無傷ならば、そのことを奇跡と呼ぶことはより容易であるだろう。

病気でも同様である

病気悪化したとしても死なないのならば奇跡を見いだせるのであり、回復すればもちろん奇跡である

これらの例のように、プラス事象が起これば、それを奇跡と呼ぶことは容易であり、

マイナス事象が起こったとしても、あなたは死ななかったという切り口で奇跡を見いだすことができる。

その考え方は、素朴でさもないことにも適用可能である

ただ生きているだけで素晴らしい、という考え方も、生存という素朴なことに奇跡を見いだしているわけである

さらに、死という究極のマイナス事象についても、奇跡を見いだすことができてしまう。

例えば、その時期まで生きられたことに奇跡を見いだすことができてしまうのだ。

まり、余命半年だったのに1年間生きられたとすれば奇跡だし、

それが3ヶ月しか生きられなかったとしても、家族交流を深める時間を十分持てた、

最後自分のやりたいができたなどと告げて、それこそが奇跡だと伝えることができるわけだ。

よって、その事象奇跡だと言い張ることは、何事においても可能なのである

ここまでの事例からわかる通り、人々は奇跡超常現象ひとつだと思っているが、

その実態は、単なる超プラス思考でしかない。

その人が究極的なマイナス(例えば、死亡すること)に陥っていないことを指して、

そのギャップ奇跡だと言い張ればよいのだ。つまり奇跡とは、下を見て満足せよということなである

から宗教修行と称して、様々なマイナスとなる事象を味わわせ、

そこに奇跡という超プラス思考を感じられるよう訓練したりする。

宗教必要なのも、奇跡を感じさせる超常現象などではない。

プラス思考という奇跡を感じられる考え方を、修行などと称して信じ込ませるプロセスの方が大事なのである

以上をまとめれば、奇跡超常現象などではなく、ある種の考え方(超プラス思考)ということだ。

まり奇跡は「起こらないか奇跡」なのではなく、奇跡だと考えるから奇跡なのである

  • それで?

  • 偏差の希少性の表現で超常現象っていうのは「常態を超えている」現象で奇跡っていうのは「奇しなる跡」でレイヤーの異なる現象の片鱗が垣間見えることだろ それがどんな事でどれだ...

  • それは違うんじゃない? 例を出すと、100面ダイスで100が出るのは奇跡じゃないけど 10面ダイスを10個振って合計が100になるのは奇跡なんだと思う。 (レトリックとして100面ダイスでどの目...

  • 宗教的訓話でありがちな展開。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん