2018-06-09

タバコに廃れてほしくない

いまの喫煙は歪んでいる。もともと喫煙というものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスロー趣味嗜好品であった。元来タバコの煙は肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。

最近タバコは違う。

タバコ」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きタバコ、とりわけライトたばこ。あれは煙を味わうものではない。ニコチン摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。

1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパと煙を肺に入れて吐き出し、はい終わり。

馬鹿げている。

この楽しみ方は長く続いた煙草文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたニコチン血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。

パイプ喫煙や葉巻、日本で主流だったキセルでの喫煙などで主に用いられる口腔喫煙ヤンキーニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれニコチンが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しか依存性も低い。パイプモーカーは「タバコを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。

くわえて、喫煙者のマナー問題

はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中や喫煙禁止区域で歩きながらタバコを吸っている人間、すべてクソである。あとIQOSとかgloなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭い喫煙者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺喫煙バカスカタバコを吸って悲しいニコチン中毒者に成り下がった故のものである

彼らは他人健康被害など考えずにニコチン摂取しながら生きていく、ゾンビのような生物なのだ。彼らが居なければここまでタバコ健康被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「個人」の健康問題を「他人」の健康問題に発展させるのが歩きタバコゾンビなのだ

ここまで「紙巻きタバコ憎し」で書いているように思われた読者もおられるだろうが、筆者もパイプに合わせて日に1本ほど紙巻きタバコをふかしている。そして、筆者の周りの愛煙家にはマナーを侵してまでニコチンを摂りたがる愚か者はいない。タバコを吸うときは部屋を出て、携帯灰皿に灰を落とし、毎日服を洗濯する「普通喫煙者」だ。もちろん、筆者もそうあるよう心がけている。

タバコ文化危機は、それらの当たり前を心がけず、ヤニ臭い服を着て、子供の目の高さに800度の炎を持ちながら街中を歩く「異常な喫煙者」によってもたらされているのだ。

7世紀マヤ文明において、すでにタバコ嗜好品とされていた。それが日本に、世界に広がったのが16世紀から17世紀初頭。ここまではずっと、パイプ喫煙や葉巻が「喫煙」だった。

しかし、19世紀に大きく広がった紙巻きタバコ。こんにちの喫煙者の肩身の狭さは、これを「歪んだ楽しみ方」で吸う者たちが原因であると言って過言ではない。

日本では400年以上、世界では1300年以上という長い時間の間、紫煙は人類に寄り添っていたのである

それが、ここ数十年で、タバコの楽しみ方を知らないバカのせいで、崩れ去ろうとしている。

世の異常な喫煙者ども、今一度、自分を見つめ直せ。

そしてIQOSなら歩きながらでもいいって思って吸うのマジでやめてくれ。

  • いまの喫煙は歪んでいる。もともと喫煙というものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。 それが...

  • タバコを吸うときは部屋を出て、携帯灰皿に灰を落とし 部屋で吸ってよ・・

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