2018-01-01

Metooと云えない

先日、友人と会った。友人は英語イタリア語ドイツ語も話せる。過去に何年も海外暮らしていた。だから勝手にすごいリベラルだと、フェミニストなのだと思っていた。勝手に、だ。しかし先日会ったときケビン・スペイシーの話になった。彼女曰く、「彼は可哀そうだ。あん過去のことを蒸し返されて、才能を潰されてしまった。可哀そうだ」。云っていることが判らず、眼が白黒した。すごい動揺した。おもわず「え?」って声に出た。私は多分「でもこれが意識革命の一歩になると思う」そんなことをしどろもどろに返したと思う。それに別にこれから先の作品を封じられたわけで、過去の彼の映画ドラマ発禁にされたわけではない。なおかつスペイシーは、最悪のタイミングカムアウトまでした。そのカムアウトの話をして、彼の声明を口にした。スペイシーは「そんな昔のことは覚えていないけど」と書いていたと云った。すると「そんなの憶えているわけないじゃん」と彼女は口にした。「ワインステインはアレだけど、好きで躰を差し出している女性もいるじゃない?」再度動揺。好きで?好きでそんなことをしていると思っているの??? そしてした方は憶えていなくて当然なの???

すごい一気に過去のことがフラッシュバックした。

私は父が嫌いだった。すぐに触ってくるから。やさしい接触じゃない。本当に「触る」のだ。どれだけ泣いて嫌がっても、「これは愛情から」とやめてくれなかった。車で助手席に座るとぜったい太腿をさわってくる。私はスカートを履くのを辞めた。けど、ズボンになっても触るのはやめなかった。私は助手席に座るのをやめた。後部座席以外絶対座らなくなった。夜寝ていると布団に入ってきた。顔や体をべたべたと触った。キスもされた。当然泣いて嫌がった。最初はそれすらも面白がられた。本気で怒って反抗すると、向こうも本気で怒って怒鳴ったりしてきた。父のそれが少しおさまると、今度はそれを兄が手本にした。こわかった。とても怖かった。一度だけ母に密告した。でも口先だけの注意で何の歯止めにもならなかった。挿入まではされなかったけど、太腿に精液を出された感触をまだ憶えている。

こんなことがあって、家族と一切仲良くはなれなかった。なかよくなれると思っている母に、びっくりとした。家庭と云うのは、小さななのだと思った。この檻に閉じ込められたくなかった。

私は家を出た。もう二度と関わらないで居たかった。そんな折に父が病気になった。母は「これでまた家族ひとつになれるね」と云った。ぞっとした。当然なれるわけなかった。父が死んで、私も努力したけど、仲良くなれなかった。その記憶が一気に押し寄せた。

彼女と別れて、その日の帰り、駅のベンチで泣いた。

怖かった。そんなことを云う人だとは思っていなかったから。被害者は、絶対忘れない。忘れることなんてできない。好きで躰を差し出したりなんてしてない。そこにはそれ以外の逃げ道がなかったのだ。家庭内で起こったことを口に出すのは難しい。彼女も目の前に被害者が座って居ると思って口にしてはいないだろう。(もっと被害者でなくても駄目だけど)

さかんになってきているmetooハッシュタグ。これを使うには勇気が要る。私には、その勇気がなかった。でも、口にしなければ、こんな心無いことを云われ続けるのだ。

その対処第三者に「もう忘れろ」とか「時効だ」なんて云われる筋もない。決めるのは本人であり、蓋をするのも、包帯を巻くのも本人次第なのだ。ただ、私としては包帯を巻くのを手伝って欲しいだけなのだ、と感じる。傷は消えることなくずっと残っている。

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