http://news.denfaminicogamer.jp/column01/pokemon-contribute
例えば、子供のケンカに大人がしゃしゃり出るのは変だし、スポーツで監督が試合中乱入するのも変でしょう
乱入して一緒に戦わないからって、それは決して、仲間を見捨てるとか安全圏で好き勝手言うとかではないのは理解できるはず
なのに、ポケモンを戦わせるだけで自分は戦わないからってサトシが卑怯だとか奇異だとか、はあ?って感じ
自分のポケモンが負けそうになったからって、トレーナーが殴りにいっちゃおかしいでしょうが
仲間と共闘してるというより、ポケモンバトルをしている、という大前提を忘れちゃいかん
自分も殴りに行かず鼓舞するだけ、という行動に対して卑怯だとか思ってしまうのって、やっぱり友達至上主義文化に犯されてると思う
何よりも仲間が大切とか、仲間を切り捨てるのは鬼畜の所業とか、ああいう刷り込みってどこから始まったんだ?
それぞれがそれぞれの責任と役割を果たすことが集団の利益になるというのも、またひとつの正しいあり方だと俺は思う
その過程で仲間を直接的に助けないことがあっても、それはそれでひとつの正義だろう、と俺は思うのだが、日本の漫画文化では、これは絶対悪とされている気がする
この刷り込み教育によって、従順な社畜が量産されているような気もする
最近の、仲間に溶け込まないゆとり新人みたいに言われる人って、こういう仲間至上主義少年漫画を読まず、無気力省エネ主人公のラノベで育ったんじゃないかって思う
これはこれで問題もあるのかもしれないが、仲間至上主義一色よりは絶対にいい
いや、色んな考えがあって世の中は良くなると思う