2017-01-16

Nintendo Switchは何者にもなれない

ニンテンドースイッチには居場所がない。

このハードが目指している場所は外でも内でも使えるハードだと思われるが、結果としてそのどちらにも居場所がない。

まず、外で遊びハードとなるには大きさと機能中途半端だ。

外で青武ゲーム機としてのニンテンドースイッチには3つのライバルがいる。

スマホタブレット携帯ゲーム機だ。

外で時間を潰すだけが目的ゲームならばスマホで十分である

ガッツリ遊ぶゲームにしても既に存在する携帯ゲーム機の方が持ち運び易さにおいて勝る。

同じ大きさのタブレット端末であればゲーム以外の様々な事がスムーズに行える。

これらとの競争を勝ち抜かなければ生き延びる道がないわけだが……流石に相手が悪い。

技術がほどよく枯れて安価で軽量になる事によって実現されたこのコンセプトだが、同じ技術ライバルはより強くより効率よく運用している。

付け入る隙がない。

しいていえば携帯ゲーム機比較的与し易い競争相手なのだが、ここで自社のDSシリーズが目の上のたんこぶとなる。

もしも両方を生き残らせようと中途半端な手を打とうものならスマホタブレットゲームの成長速度に簡単に追い抜かれまさに何者でもなくなってしまうだろう。

次にリビングで家庭用ゲーム機として戦うには性能が足りない。

いまどきスカイリムが出来るから凄いなんて言ってる時点でそのズレが分かる。

発売から4年経っているゲームを最新鋭扱いするのは流石に無理がある。

4年程度の遅れならと思うかも知れないが、それは目の前しか見えていない意見だ。

ゲームハード寿命はだいたい5年。

そうなると今4年ほど遅れてるハードは最終的に約10年遅れた性能になる。

その時が来た時、今ですらVRやオープンワールドといったハイスペック要求されるジャンルがあり、今後は次なる高要求スペックゲームジャンルが作られる中で10年遅れのハードに何が出来るのだろうか。

それこそ数年後にはタブレット端末やスマホにすら性能が抜かれてしまい家庭用ゲーム機としての立場は完全に失われる可能性すらある。

中途半端携帯機と家庭用ゲーム機の両立を狙った末路がこれだ。

ニンテンドースイッチは何者にもなれないハードだ。

昔話のコウモリのようにあっちへフラフラこっちへフラフラと踊っているうちに自分のいる場所がどこにもなくなった哀れなハードだ。

ゼルダが出来る。

マリオが出来る。

確かにそれらは素晴らしい事だろう。

ハードだけ素晴らしくてソフトが駄目ならどうしようもないのだからソフトが素晴らしいのはいい事だ。

だが、その言葉は逆にその素晴らしいソフトもどうしようもないハードという制約によって頭を押さえつけられてしまう事を意味する。

ソフトハード二人三脚

弱い方の力が結果を決める。

強い側によるリードもある程度は可能だが、それはある程度だ。

しろ私は声を大にしていいたい。

素晴らしいソフトが作られると決まっていたハードになぜこんな中途半端なことをした!と。

ソフトが素晴らしいのならなおの事この腑抜けたコンセプトが恨めしい。

完全な迷走だ。

俺が求めているのはニンテンドー64のようなゲーム業界リードする存在だ。

こんなちょっと値段の張る十徳ナイフを思わせる器用貧乏な保身ハードじゃない。

遊びへの挑戦だ。

Nintendo Switch貴様任天堂がほこるハードなら何者かになってみせろ。

俺の予想を覆してみせろ。

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