主張といってもピンキリで「自分のポジションの宣言」しかしない人がいます。
何を語るにしても根拠が「自分がこっちだから」「あいつらは間違ってるから」しかないと人のことです。こういう人は「対比する相手」がいないと自分の正しさを主張できない。
論理が単純明快どころか論理そのものがありません。結論しかありません。ここまで中身すっかすかならバカでも言ってることは理解できるでしょう。
こういう人はWebの一部の界隈では「炎上的な」人気は得やすい。敵か味方かでしか考えられない人はいます。そういう、自分とポジションさえ同じなら論理なんていらないって人は、深く考えずに賛成してくれるでしょう。
逆に、論理を重視する人は、その論理不在の結論だけの文章にいら立ちを感じて批判するでしょう。でも、自分の正しさを疑わず、自分のを批判する奴のことは無視し続ければいい。
しかし、ポジションの表明しかない人は、同じポジションの人にしか支持されない。いつまでたっても「マイナーな人」「ニッチな人」にしかなれないと思います。
そして、「ポジションを明確にする」ことによって支持される人は、それだけだとポジションが違う人からにはまったく支持されないし嫌われます。
それでいいと割り切ってるならよいんです。やぎろぐさんとかイケダハヤトさんは、あくまで「ポジションをとること」だけを重視している。むしろそういう「ポジションしか気にしない読者」こそを求めているのでしょう。とりあえず雑に「会社批判」や「定住生活」についてDISっていれば、その結論だけに飛びつく人は少なくない。「オンラインサロン」なんてやるのであれば、そういう人を相手にすることが商売としては大事だってことですね。
ところが、彼らほど覚悟ができてない、自分の主張がただのポジショントークであるという自覚すら持てないほど頭の悪いブロガーがちらほらいます。
ここで「人を批判するな」とか言い出したらこれはただのダメな人ですね。だったらまずお前がポジショントークしながら人を批判するのやめろ、って言葉が返ってくる光景が目に浮かびます。自分に都合のよいポジショントークするだけでフィードバックも受け取らないんだから話になりません。そんなものはただの社会性のないガキの主張であって、こういう人が主張する「ぼくがかんがえたさいきょうのじゆう」は、「俺の好き勝手にさせろ。責任なんてとらねえ」という幼稚なものです。
ガキのたわごとを真剣に受け取る大人はいません。「もうちょっとよく考えてから出直して来い」としか扱われないでしょう。
もちろん、本気で発言したらなんでもポジショントークになるとは思う。自分のポジションに基づかない発言に魂を込めることなどできないと思う。でも、そのポジショントークを「誰に」「どうやって伝えるか」は人によって大きく違うんじゃないでしょうか。
「ポジションが違っても一定の説得力がある」文章を書きたいなら、自分とポジションが違う人にいちいち喧嘩を売ったり否定しなくても読んだ人が納得できるように書いたほうが良いでしょう。
ま、こういう人は、文章を書くこと自体が好きな人でしょうけれど。文章なんて、目立てばよくて、そこからバカが釣れさえすればよくて、炎上してロボットに好かれるほうがよくて、そんな考えの人は、主張なんてほんとはないんです。炎上しさえすればいいんです。そんなやつを相手にするほうが悪いんです。