それは、ベッキーを攻撃しているのは他でもない同性である女性だということだ。
例えばイスラム教やヒンドゥー教の国では、女性を穢れたものとして罰するのは男性たちの役目だ。
諸外国の反応を見る限り、ベッキーの一件も同様に考えているように思える。
過去の女性タレントの貞操問題を掘り返してみても、彼女らを社会的に追い詰めているのはすべて女性たちだ。
あのアイドルが丸坊主にしたのだって、男性からの被害者を演じることで同性の攻撃を回避しただけにすぎないんだ。
もちろん女性全員がそういう考え方を持っているわけではない。
でも、一部の女性からの強烈な攻撃が集中することで社会がそう対応せざるを得ない状況に陥ってしまっているのが現実だ。
すくなくとも、わたしの観測範囲ではベッキーに同情する男性はいれども、非難する男性は皆無だった。
今回の件において、ベッキーが許されることが男女平等と取るか、それともゲスが罰せられることが男女平等とるかはとてもデリケートな問題だ。
おそらく、男性側はベッキーが許されればいいと考えるし、女性はゲスも罰せられるべきだと考えることだろう。
この違いこそに、日本が抱える性差別の根本的な問題があるのだ。
男性諸君は、なぜ女性がベッキーを攻撃するかを考えたことがあるだろうか。なぜ自分たちはベッキーを許せると思えるかを考えたことがあるだろうか。
それは、女性は抑圧されていることが当然なのに、男性は抑圧されないことが当然な世の中だからだ。
女性は貞操観念を大事にし、一途に尽くすことこそが美徳として教えこまれているのに対し、男性にはそんな教育なんてない。
せいぜい浮気はダメくらいなもので、その裏では多数の女性にモテることがステータスとまでいわれるきらいさえある。
こんな下らない美徳と、レイプされた女性がムチ打ちにあうような美徳とどこに違いがあるというのだ。
そんな美徳に抑圧されているからこそ、禁忌を犯した人間を責めることで自らの境遇を肯定するのだ。
つまりこれは、性差別が生み出した先にある同性間の差別なんだ。
そのことを紐解かなくては、日本における性差別の闇を暴くことはできない。
正直に言うとわたしはおっさんだ。だけど、心は乙女だからわかる。
これから本当の意味で日本が性差別ない国になりたいと願うなら、おっさんにわかるはずがないだなんてそんなつまらないことで性差別しないでほしい。
あのアイドルが丸坊主にしたのだって、男性からの被害者を演じることで同性の攻撃を回避しただけにすぎないんだ。 これは無理あり過ぎだろ
おっさんおっさん。女性は女性アイドルの貞操なんて気にしてないよ。 むしろ彼氏がいる方が人気が出るくらいだ。彼氏は良い男であればある程いい。「あんな素敵な彼氏がいるあの女...
でも女性がそういう風に思うように仕向けたのは男性なんだからやっぱり男性のせいなんじゃないの?