2014-07-07

他人をあまり苦しめてはいけない理由について

実験用のモルモットが蚊の餌になってる写真が話題だが、

人間人間に対して残忍な拷問をしたり、事故であったり、そもそも動物界では、生きながら食べられたりと

生物は堪え難い苦痛を受けることがある。

 

たいていは他人事だが、まれに共感能力によって、その苦痛自分のものとしたり、

また少数の人や生物は実際に拷問を受けたり、齧られたりして苦痛を感じている。

 

この文章を読んでいる人はほぼ全員が

自分があんな目に合わなくて良かった」という他人事立場だ。

 

私もそうだ。

しかし、自分当事者になる可能性を考えると、たまに言いようの無い恐怖を感じる。

 

もし自分があの動物だったら?

もし自分プレス機に挟まれて死んだ人だったら?

プレス機を止められないと理解しつつ、ゆっくり鉄板自分を押しつぶすのを待ってる時のことを考えると怖くて仕方が無い。

 

私以外にもそんな人は居るだろう。

しかし、それが自分にはほぼ起こらないと思ってることが多い。

 

しかし、絶対にそういう苦痛から逃げられない可能性があり得ることに気がついている人は居るだろうか?

 

ここからは若干宗教っぽい話になってしまう。

 

自分とはなんだろう?と考えたとき、たいていの人は追求しきれずにうやむやになってしまうと思う。

多くの可能性の中で「自分とは、もしかしたら神かもしれない」と思った人も居ると思う。

(神という表現違和感がある人は「共有意識」とでも何とでも読み代えて欲しいが、ここでは便宜上「神」とする)

この世界を観察、体験する為の主体を追求すると神に行き着き「自分の体験はイコール神の体験じゃないか?」という発想だ。

この発想では全員のコアが神だということになる。

「ああ、、、今日会社行きたくないな、、、」

などという思考や情念自分の脳が作り出すが、それを体験しているコアは神だ、という発想だ。

 

ついて来れているだろうか?

この部分の意味が分からないと、この先は全く理解できないと思うので、分からない人は、ここで読むのをやめるか、何度も読んで理解するかして欲しい。

 

ここからは上記のことを理解した人が読む文章だと思って書く。

 

もし生物(に限らない。意識を持ちうる物質全て)のコアは神で、全生物の体験は神が体験しているとしたら?

 

もしそうなら、ビルゲイツの富もイチローの栄誉も野々村議員の羞恥実験モルモット苦痛も全て自分の体験である

先週の金曜日にかけた商品発注の桁を間違えていることに今朝気付いた私も、

それを怒りつつ、事態をどう収拾しようか胃に穴をあけながら悩む上司も、

商品キャンセルされて土日に無理した受注企業社員社長も、

すべては自分である可能性があるので、あまり私を怒って苦しめないで下さい。

それがあなたの為です。

 

この文章を家を出なければならない時間までに書き上げられなければ、今日会社を休もうと思っていたが、

ギリギリ間に合わなかったので、今日会社を休むことにします。

オフ会には行きます

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