厚生労働省の「子宮頸ガンワクチン接種勧奨中止」で、はてな村が大混乱に陥っている。
はてな村は、したり顔の接種推進論者が多く、反対論者を「陰謀論に毒された、カワイソウな人」とトンデモ扱いしていた。
そのため、本来なら行うべき科学的な安全性の論証を、思考停止して怠っていた側面は否めない。
「ビルゲイツの陰謀だ」「不妊ワクチンだ」という陰謀論には辟易しているが、
でも
「なんで、あそこまで痛がるワクチンの接種を半強制するのか、
ワクチン接種がイヤな女子の『接種をしない愚行権』は、保証してあげればいいのに」とは思っていた。
その意味では、「接種しない自由」を保証した今回の決定は、基本的に歓迎。
「接種した場合の死亡リスク(副反応リスク)と、接種しない場合の死亡リスクを天秤にかけ、
接種した場合のリスクが大⇒接種見合わせ」が正しい、とされてきた。
喩え話で言えば、
「接種することで、女性100万人のうち1,000人が副反応で死亡したとしても、
接種しないことで、1,000人以上が死亡するなら、接種した方が望ましい」という天秤になる。
しかし、こういう単純なロジックは、「接種時と発病時のタイミングのズレ」という、
子宮頸ガンワクチン特有の問題を、一切無視した議論ではないか?
実際、子宮頸ガンを実際に発病するのは、接種する年代(10代)でも、いや20代でもなく、
仮に、「接種することで、10代で100万人中1,000人が死亡する」、
「接種しないことで、50代に100万人中1,000人が死亡する」という場合
(話を単純化させている)、それは「天秤にかけるとイコール」と判断していいのか?
「なんで、リスクを先取りしなきゃいけないの!!」と感じるだろう。
まあ、「100万人中、どっちも1000人」だと、
では「接種することで、10代で100万人中1,000人が死亡する」、
「接種しないことで、50代で100万人中500人が死亡する」という場合は、どうなのか?
この場合、「死亡率が半減する」という「接種の便益」がある。
その見返りに「女性の華のエイジ、10代20代30代を棒に振る」ということになる。
「死亡率が半減しているんだから、便益がある、接種すべきだ」という意見もあるだろうが、
女子の間では「そんな先の死亡云々なんかより、目の前の青春が奪われるのがイヤだ」と拒否する女子の方が多いのでは?
では、「接種することで、将来の死亡率が100分の1になる」場合は?
こうなると、天秤的には「便益が強いから、接種させよう」となるだろうが、
「10代20代30代を謳歌したい、40代以降のオバサン人生は『余生』だから、
そんなのいっさい気にしない」という
「10~30代の女の幸せに人生価値の重きを置いている」女子に言わせれば、
「50代で死んでも別に構わない、それより目の前の幸せが逃げるのがイヤ」となる。
つまり、「10代20代30代に、女の幸せを追求する女子」にとっては、
接種便益倍率を相当に高倍率にさせないと、接種を魅力に感じなくなる。
一方、「自分はそんなに女の幸せを追求しない」という「割り切り女子」の場合は、
接種便益倍率が低倍率であっても、接種に魅力を感じる。
ということで、「接種主体が、どういう価値観を抱いているか?」で、
「接種便益が変わってしまう」、実はここが子宮頸ガンワクチン接種の「難しさ」ではないか?
「たくさん恋をしたい、早く結婚したい、40代以降は無視」というスイーツ女子にとっては、
接種便益100倍でも「接種ヤダ」となるし、
「別に恋に関心ない、20代30代も淡白に生きて、そのまま40代50代も淡白に生きる」という
草食女子にとっては、接種便益10倍でも、「接種したい」となる。
これは、裏返して言えば、
「女の幸せは恋をすること、結婚すること」というジェンダー価値観を重視する人は
「接種メリット乏しい」となるし、
「女の幸せは恋愛結婚、という押し付けはオカシイ」というアンチジェンダー価値観(女性解放論者)から見たら
「接種メリットが強い」となる。
ワクチンの「皆で受けることで感染の輪が広がることを防ぐ」っていう観点が抜けてない? 自由の観点からすると各個人それぞれの結論を尊重したいところなのだけど 一人でワクチンを...
「女性の幸せ」求める女子ほどヤリマンだから、子宮頸ガンになりやすい訳でして・・・