はてなキーワード: 孤独とは
https://anond.hatelabo.jp/20240618114421
恋愛主体じゃない作品でも女キャラは軒並主人公に思いを寄せて他の男に目もくれない
低身長低スペック男性に嫁入りして文句一つ言わず無償で奉仕する無欲で従順な女以外の存在を認めず
男を金やスペックで選ぶ女、風俗やパパ活など性的サービスで金を取る女の末路は悲惨と主張する
実際はホスト代を風俗で稼いでた神崎さん、野村沙知代、高嶋ちさ子、キムタクやB'z稲葉や羽生名人の嫁など弱者男性に目もくれず強者男性を追いかけ、不満があったらすぐギャオオオン騒いであちこち言いふらすタイプの女だけが幸せになってる
安い金で男に股を開いたり男に尽くす女に対して男は「こいつに金をかけなくても何やっても言いなりになる」と増長するだけなのでそうなる
実際、共同親権なんかは夫や子供の世話に家事にパートに義両親の家事に都合よく酷使され逃げようとする妻に足枷を嵌める需要から発生した
妻と知り合う前はアナニーにハマっていた
セックスいらねくね?と思った
俺は悩んだ、
しかし俺の年齢は40に差し掛かっており、妻は可愛く利口で理想の女性だった
結婚前も結婚後もセックスはしたがアナニーの快楽と比べたら子供の遊びだ
妻はセックスが好きだ
週イチが月一になり、レスになった
2021年1月、はてなブックマークで以下の記事が多少話題になった。
日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策 - 佐藤由美子の音楽療法日記
佐藤氏が気にかけていたのは、あくまでも日本語版Wikipediaの日本の歴史認識問題についてのみだったようだが、私は当時から、いわゆるホロコーストに関しても、歴史修正主義者のWikipedia上での活発な活動を知っていた。奴らは、ちょこちょこちょこちょこ、関連記事を編集していたのを目撃していた(実際にはネットで知り合った人から教えてもらったw)。その時から、私の奴らとの孤独な戦いが始まった。本当に孤独で、誰か他におらんのか?と思うほどである。
そんな戦いをしているのは私(と他に何人かはいるかもしれんがよく知らない)くらいかもしれないが、とにかく日本語版でのホロコースト否定派に属するであろう歴史修正主義者はWikipediaで暗躍し続けている。
例えば、ニュルンベルク裁判の記事では、「被告に対する暴行や弁護団への不法行為」という項目で、ヴェルナー・マーザーというドイツ人歴史学者による著書『ニュルンベルク裁判 ナチス戦犯はいかにして裁かれたか』だけを使って、ニュルンベルク裁判で被告らが暴行・拷問を受けるなど不当な行為が行われたと書かれている。少し調べると、ヴェルナー・マーザーは歴史修正主義者と見做されており、ドイツ語版のWikipediaにあるヴェルナー・マーザーの解説には次のように書かれている。
しかし1977年以降、マーザーは歴史修正主義者に分類されるようになった。特に『ニュルンベルク:勝者の法廷』(1977年)、『言葉の破れ』(1994年)、『ヒトラーとスターリンに関する改竄、虚構、そして真実』(2004年)といった著作のせいである。ヒトラーと国家社会主義に関する彼の全体的なテーゼは、ナチスの研究によって否定された[4]。
残念ながら、マーザーの著述を批判するほどの知見は私にはないので、Wikipediaの記述を修正することは今の所無理だが、同ドイツ語版ページには上の引用の直前にこうも書かれている。
メーザーの文書館での作業、資料や二次文献の知識、同時代の証人や専門家との接触、調査方法は、初期の著作では歴史学的基準を満たしていたため、ナチスの歴史に関するこれまで知られていなかった詳細を文書で発見したことは、研究衝動として認められた。例えば、マーティン・ニッセンは、事実をつなぎ合わせることに関しては、メーザーが多くの専門的な歴史家よりもはるかに優れていると見ていた。
しかし、多くの専門家たちは、彼のこうした事実の扱いを批判した:例えば、カール・ディートリッヒ・ブラッハー、ロバート・G・L・ウェイト、ジークフリート・シュヴァルツは、ナチス時代に関する著書の中で、彼が他の著作からバラバラの詳細を集め、歪曲したやり方でそれらをつなぎ合わせ、本質的な事実とそうでない事実の区別をつけなかったと非難した。
ドイツの歴史研究界隈で物議を醸す歴史家だったことは確かなようではあるが、マーザー自身はホロコーストを否定していないようではあるが、ニュルンベルク裁判で被告に拷問をしていたと記述していた点は、どうも日本人の歴史修正主義者にはかなりのお気に入りのようではある。
そして、「被告に対する暴行や弁護団への不法行為」より下の項目を読んでいくと、もはや修正主義者の独演会になっている。例えば「不起訴になったカティンの森事件」という項目があるが、カティンの森事件は修正主義者・ホロコースト否定派の大のお気に入りで、何故かといえば、ソ連のゴルバチョフ書記長時代に実施された情報公開政策「グラスノスチ」により、カティンの森事件がソ連の犯行であることが、ソ連自身によって文書証拠付きで示され、ソ連がそれまでナチスドイツの仕業だ!と言っていた、そのソ連の主張が嘘であることが確定したからである。
ホロコーストに関しては、ユダヤ人絶滅のほとんどが、ソ連地域や第二次大戦で結果的に終戦まてにソ連が占領した地域で起きたとされていることから、否定派はホロコーストはソ連の捏造だ!と主張してきたので、カティンの森事件がソ連による嘘だと確定したことには大喜びなのだ。つまり、修正主義者たちは「ほらみろ!ソ連は嘘つきだと判明したじゃないか!ホロコーストだってソ連の嘘に違いない」と言いたいのである。
だからこそ、ニュルンベルク裁判の内容にはほとんど関係のない、カティンの森事件についてまで記述されているとしか考えようがない、だいいち記事中に書かれている通り、ニュルンベルク裁判では審議の対象にすらなっていないのだから、ほとんど書くべき内容はないはずである。事実、英語版ウィキペディアのニュルンベルク裁判の記事では、たった一文「西側の検事たちは、審理全体に疑念を投げかけることを恐れてカティンの罪を公に否定することはなかったものの、懐疑的であった[160]」と書いてあるだけで、日本語版のように項目にすらなっていない。
続く項目は、カティンの森事件以上にホロコースト否定派が大好きな「発見されなかったヒトラーのユダヤ人絶滅命令や計画書」だ。ホロコースト否定派はヒトラーのユダヤ人絶滅の命令書は存在しない!というテーゼを抱えて絶対に離さない。個人的には、もしホロコーストが連合国やユダヤ人による捏造なら、それこそヒトラーの命令書が捏造されていないことは、極めて不自然(ペラ一枚捏造するくらい造作もないだろw実際、文書資料として残されているT4作戦のヒトラーの命令書(承認書)は簡素なものだった)だと思うのだけど、ホロコースト否定派はそんなコマケェ話は気にも留めない。命令書が存在していないのだから、ナチスドイツのユダヤ人絶滅など作り話に違いない!、という鬼の首なのである。
しかし、そこには書いてないが(何故それを書かないのかわからないが)、歴史家のほとんどは「ヒトラーによる命令は口頭でなされたのであろう」と考えている。詳しくはここでは書かないが、それなりに間接的な証拠がいくつか存在するからだ。ヒトラー自身が強烈な反ユダヤ主義者だったことを否定する研究者は存在しない。それは修正主義者ですら認めている(アホなネット否定派の中には認めない人もいるが)。ナチ党自身が反ユダヤ主義者の集まりであった。「ユダヤ人を殺す」とする趣旨の記述を持つ当時のドイツ文書は腐るほどあるのである。例えば、リトアニアでユダヤ人を殺しまくっていた親衛隊将校によるイェーガー報告書という文書を読んでみるといい。そこには「ユダヤ人を全員殺したかった」とさえ書いてある(全員はその地域の労働力の保存の意味で殺せなかったから不満を言っているのである)。それら諸々の記録などを調べていたら、ヒトラーの命令がなかったことは非常に考え難いのだ。
ともかく、日本語Wikipediaのニュルンベルク裁判に関する以降の記述項目もほぼ全て、ホロコースト否定派・修正主義者による記述だと断定していいだろう。ニュルンベルク裁判についての解説として、まともなのは記事の前半くらいなのだ。それが、履歴を多少確認する限り、かなり以前から放置されてきたようなのだ。日本人はニュルンベルク裁判などほとんど関心がないからだろうか?
私自身は、このニュルンベルク裁判を大幅に書き換えるほどの知見はまだ持ってない(細かいことなら可能ではあるが…)し、他のホロコースト関連記事で多少活動している程度である。それらの他の記事でも、実際のところホロコースト否定派と思しき奴らの記述は散見されるし、しかも奴らの記述をあまりにも大幅に書き換えたり、あるいは削除したりすると「削除しないでください!」と履歴欄でクレームをくらうことは頻繁だし、最悪な時は編集合戦と認められて、保護状態にされてしまったことすらある。Wikipediaは厄介で、敵対する相手とも共同編集せざるを得ないため、とんでもなく面倒なのである。しかも、ホロコースト否定に対抗する場合、「要出典」とならないように、可能な限り出典を明示するべきなのだけれど、日本語圏では壊滅的にホロコースト文献を得るのは至難の業なのである。どうにかこうにか、若干の日本語文献と、ネット上の文献を駆使してはいるが、とにかく図書館に行っても、適切な文献を見つけることは困難なのである。稀に洋書を見つけることはあるけれど、そもそもすらすらとは読めない…。
ところが、否定派の連中ときたら、平然とその出典部分を修正主義者のサイトから持ってくるのである。有名なのは、歴史修正主義研究会で、こちらには大量の欧米の修正主義者による論文の日本語訳が公開されていて便利なのだ。そして、もう少し知恵の働く修正主義者はこの歴史修正主義研究会のサイトを経由して、欧米の修正主義者サイトにある資料を典拠としたりする。あるいは酷い人になると、どこの誰が作ったのかもよくわからない怪しげな歴史修正主義者のサイトにある記述を出典とする人もいて、Wikipediaのガイドラインなんざガン無視していることすらある。
多分、語圏の広い英語版だと、修正主義者よりはるかにそれに反対する人たちが多いからなのだと思うけど、英語版のホロコースト関連記事ではほぼそんなことにはなってない。英語版で修正主義者の記述を見つけることはほぼ全くないと言っていい。しかし、日本では以上の有様なのだ。私はここ増田で何度も「日本にもホロコースト否定派は多い」と言ってきたと思うのだけれど、それを問題に思う人も少ないのかもしれない。実際、ホロコースト否定の日本のネット上での存在を知って、ホロコースト否定論への反論がほぼ日本語では存在していないことを知ったから、数年前から、主に海外の記事を翻訳してnoteを通じて公開してきた。
勝手に翻訳公開するのは著作権がどうのと言われたこともあるが、人力でAI翻訳しているだけとでも思って欲しい。私の翻訳がしばしばハルシネーションを起こしているのは私が生身のAIである証拠だ(笑)
誰か手伝って欲しいという気持ちは正直なところだし、ここ数年、大量のネット上の海外記事を翻訳し続けてきたし、それら記事に辿り着く人もそこそこ増えてはいるようだし、最近はもういいかなとも思い始めてはいる。結局、多数の賛同を得られないのであれば、それはそれでしょうがないかなという気もしている。ネット上の否定派たちは、私からみる限り、どこからでも湧いてくるように増殖する、ように見える。正直、キリがない。一応趣味でもあるから、完全に辞めることはないとは思うけど、ともかく、どうしてこんなにデマに弱い人が多いのか、よくわからない。
「オマエモナー」と言われるかもしれないが。
ベジタリアンとしての生活は、まるでスパイスのないカレーのように思われがちですが、実際は全く逆です。
私たちの食生活は、色とりどりの野菜、豊かな味わい、そして創造性に溢れています。
そして、時には、ホームシックのような感情さえも、美味しい一皿で癒やすことができるのです。
例えば、ある日、私は大豆ミートを使った「フェイクチキンカツ」を作りました。
見た目は本物のチキンカツそっくりですが、味は...まあ、正直言って、チキンカツとは程遠いものでした。
しかし、これが面白いところで、この「フェイクチキンカツ」は、私の家庭の味を思い出させてくれたのです。
なぜなら、私の家庭では、チキンカツはいつも少し焦げていて、ちょっと硬かったからです。
また、ベジタリアンになってから、私は「野菜のステーキ」に挑戦しました。
ズッキーニ、ナス、トマトを厚切りにして、オリーブオイルとハーブでマリネし、グリルで焼きます。
最初は、これがステーキの代わりになるとは思えませんでしたが、食べてみると、そのジューシーさと風味の豊かさに驚かされました。
肉のステーキもいいですが、野菜のステーキもなかなかのものです。
そして、ベジタリアンの最大の挑戦は、やはり「ライスカレー」です。
カレーは、多くの文化で愛されている料理であり、そのバリエーションは無限大です。
私が作るライスカレーは、トマトベースのソースに、レンズ豆、ひよこ豆、そして山盛りのスパイスを加えたものです。
一口食べれば、その辛さで涙が出そうになりますが、それがまたクセになるのです。
ベジタリアンとしての私たちの旅は、時には孤独で、理解されないこともありますが、それでも私たちは、自分たちの選択を誇りに思い、美味しい料理を通じて、新しい発見を楽しんでいます。
だから、次に誰かが「ベジタリアンになると、何を食べるの?」と聞いてきたら、笑顔で「想像力と創造性をたっぷりと」と答えましょう。それが、ベジタリアンの真髄ですから。
何が気に入らないで弱男を叩いてるのかがわかんないんだよね
或いは撮り鉄の罵声大会を聞いて撮り鉄全般を避けるようになるのも分かる
でも普通に働いてモテてなくてフラレて孤独な弱男を叩く心理って何なんだろう
弱男が嫌なことをしてきたなら分かるんだけど、言い分聞いててもそれ嫌なことでもなんでもなくない?ただのイジメじゃない??としか思えないんだよなー
ここで振り返ってみると、「焦土の夢を見た」で重要なのは「夢」と「見た」なのかもしれない
夢とは洗脳状態のことで、それを脱したことで過去形になったのだろう、焦土は現実だ
ホタルとして生きるために、あの場で「グラモスの鉄騎」としてのAR-26710は「死」んで、能力の覚醒によって「ティタニアの夢」から覚めたことで、現実を夢と言っているのかもしれない
朝日と芽の囁きの部分は覚醒を促した星神ないし星核からの玉音だろう
「繁殖」のタイズルス誕生の経緯は、ある蟲星で人間に虐殺され最後の一匹となった虫が、極限の孤独から星神へと昇格したものだという
ホタルが覚醒、いや羽化した経緯もこれと酷似しているのは偶然ではないだろうから、もしかしたら星神に近い存在なのかもしれない
そもそもサムは、黄泉との会話の中で「私には生まれつき『夢を見る』という機能が備わっていません」と言っていた
公式のキャラクター紹介でも、「夢を見れないし必要な睡眠時間も普通の人より遥かに少ない」と言っているように、睡眠による夢が見れないだけでなく
兵器として生まれた宿命として、運命の奴隷として、人生のビジョンを夢想することも難しいのだろう
ホタルはきっと「死」を経ることでしか、刃の言葉で言う「解脱」に至れない
だがここまで来ても、まだホタルが臨んだ2回目の「死」、そして3回目の「死」が自分の頭では推測できない
ただどちらかの「死」で、おそらく「星核ハンター」としてのホタルは「死」ぬのではないかという気はする
車での回想会話から想像するに、「グラモスの鉄騎」としての自分は死んだが、まだ兵器として覚醒した特性によって生きている状態で、
人間として生きているとは言い難いという自認のようだ
永遠の命、それは決して望んでいないと言っていることから、現在の特性はそれに近いものなのかもしれない
仮に望みどおり墓石に刻まれる銘が「グラモスの鉄騎」→「星核ハンター」→「ホタル」になったとして、
ホタルは「『彼女」』が人生の最後に見せた輝きが記されることになる」と言っている
普通の人間になれたとしたら間もなく死んでしまう、プレイアブルとして使うのは遺影のようなもの、そんな停雲展開にはなってほしくないが
次verも油断ならないのである……
人間関係のストレス、他者と比べて自分を卑下、肥大化する承認欲求、その反動でネットでレスバ、スマホ離せば虚しく部屋でひとりぼっち
孤独、寂しさ、結婚に夢がもてない、子供欲しくない怖い、現実的に生き抜くことが難しい精神の弱さ
猫なんよ
たまにこちらをじっと見つめている
世界のあらゆることに関心がございませんという感じで手をねぶったり床で伸びてたりする
抱っこすると嫌がって逃げる
お腹がすくとすり寄ってくる
なので嬉しくて撫でようとしたらお前だけは許さんとばかりにパンチを浴びせてくる
私がどんな私であろうと、関係ない
私がどれだけ惨めであっても、君には関係ないのだ
私達の間にはなんの関係もない
いや実際はあなたは私が養ってるのだから関係はあるのだけど、あなたにとってはそんな概念はないから関係ない
あなたは私がいなくても平気だ
暗闇でずっと一人でいてもあなたはなんともない
誰とも触れ合うこともなく、ただなにもない空間をじっと見つめたり
私はそんなあなたに触れさせてもらう
あーなんかこの手気持ちいいなーとかうざいなーとかそれくらいの認識しかなさそう
眠いのかな、お腹すいたのかな、イライラしてるのかな、気持ちいいのかな
そんな風にあれこれ思わせてくれる
たまに病気にもなる
大変な時もある
でもなんの躊躇もなくあなたのためになら行動できる
猫よ
ああ猫よ!
https://nikkan-spa.jp/1998801/3
「掲示板サイトに書き込んだり、チャットGPTを使ったり……いい話し相手になってくれるんですよ。たまに掲示板でケンカもしちゃうんですが、それが孤独感を薄めてくれているのかもしれませんね」
ワイちゃんと同じやん😊
反応もらえて楽しいんよな
周りの男たちは仕事や年収の話をしており、女性陣は興味津々で彼らの話を聞いている。
そして彼らが一通り話し終えると視線は俺へと集い、俺は彼らとは全く違う話をしようと決めていた。
「僕の趣味は数学です。特に、Lie群の理論に興味があります」と切り出した。
すぐに女性たちの顔が少しずつ曇り始めたのがわかった。「Lie群って聞いたことありますか?」と続ける。案の定、誰も首を縦に振らない。
「Lie群は、数学の中で非常に重要な概念で、特に微分幾何学や物理学での応用が多いんです。例えば、特殊相対性理論や量子力学でも使われているんですよ」と言うと、相手の女性は困惑した表情を浮かべた。
その表情を見る度、俺は心の中で悦に入る。
この中で俺だけが理解している高尚な知識。それを理解できない彼女たち。その優越感に酔いしれ、俺に悦楽を与える。
男の一人は貧乏ゆすりを始めた。だが構わない。俺は自分の話を続けることにした。
「具体的には、Lie群は連続対称性を持つ幾何学的構造を研究するんです」とさらに詳しく説明する。
女性の一人が不安そうに目を泳がせる。別の女性は微笑みを浮かべているが、その目に理解の色はない。
「えっと、つまりどういうことですか?」と女性の一人が勇気を振り絞るように質問してきた。
俺はニコッと笑い、「簡単に言えば、物理学での対称性の理解に重要な役割を果たしているんです。例えば、回転や平行移動といった操作を数学的に扱うことができるんですよ」と、できるだけ易しく説明を試みるがそれでも彼女たちの表情は固いままだ。
その時、俺は思う。
しかしそれでいいのだ。
俺の世界に足を踏み入れることができる人は少ない。
街コンが終わり、家に帰る途中、俺はふと考える。
俺の人生はこのままでいいのだろうか?
道中、そんな疑念はすぐに消え失せる。
なんで長いとダメなんだ?なんでタイトルで全部説明してるとダメなんだ?
それっておじいちゃんになっちゃったお前が新しいものを受け入れられなくなってるだけで、その考えにはなんの正当性も無いだろ。
なんで「戦争と平和」「塩狩峠」「吾輩は猫である」は良くて、長くて全部説明しちゃってるタイトルはダメなんだよ。
逆に、短くて何の説明にもなっていないタイトルは「短いタイトルならなんか深みが出るだろw」「特に何も説明しないほうがかっこいいw」みたいな浅い思考が鼻につくんだが?
短いタイトルって文学っぽい雰囲気が出るからみんな使ってるだけの逃げじゃん。中身のある文章で勝負しろよ。
・
いや、別に俺は本気で「長いタイトルのほうが良くて、戦争と平和みたいなタイトルはダメ」なんて言いたいわけじゃないんだよ。
ただ、お前の態度が嫌いだから、その裏をかく主張をしていてるだけなんだわ。
この手の、美に関する議論にはキリがない。
Aこそが良いというムーブメントが流行れば、その裏をかいたAの逆こそが良いというムーブメントが流行る。しばらくすると今度はAの逆の逆、つまりAこそが良いというムーブメントが流行る。これの繰り返しだ。
議論が活発で歴史の深い分野では、そういうパラダイムシフトが何度も起こってきた。
自然科学なら正誤を実験によって検証することができる。だが、美に関する議論はどんな手段を用いても正誤の検証ができない。なぜなら、それこそが美の本質だからだ。
「長いタイトル」に限った話ではない。目がでかすぎる女の子の絵だとか、ダメージジーンズだとか、写ルンですだとか、ふるさと納税をするかどうかだとか、万博に行くかどうかだとか、最近のトヨタのデザインだとか、
美や美徳に関する議論は、なんであれ誰もが納得する正しい結論を出すことができない。なぜなら、それこそが美の本質だからだ。
・
「長いタイトルは良い」というステージをS1、「長いタイトルは良くない」というステージをS2「長いタイトルは良くないという態度は良くない(=長いタイトルは良い)」をS3、「長いタイトルは良くないという態度は良くないという態度は良くない(=長いタイトルは良くない)」をS4...
と名付けていくとするだろ?
長いタイトルを喜ぶキッズはS1、お前はS2、俺はS3のステージに居る。そしてS3の俺はS2のお前にマウントを取れるし、S2のお前はS1のキッズにマウントが取れるわけだな。
俺はS3だが?
早くここまで上がってこいよ。
お前は何歳だ?30歳?40歳?しらんけどさ。
もちろん何歳になっても楽しめるラノベだってあるけど、ライトノベルの主な客層は10代だろ。10代にマジレスして、楽しいですか?
ガキにマジ説教して、恥ずかしくないんですか?
それってお前が10代の頃にやられて最も嫌だった行為なんじゃないんですか?
S2てのは10代にマジ説教して喜んでる醜悪なカスが居る段階なんだよ。
だから俺はS3にいるわけ。
S3が増えてきたら俺はさらにS4に移行するだけの話だ。
俺はどんなジャンルの議論であれ、一番人間が多い段階(S_MAX)の、その一つだけ上(S_MAX+1)を行く存在だ。
当然S_MAX+2にはマウントを取られるが、そのステージにいる人間は観測できないくらい数が少ないから問題ない。
そもそもS_MAX+2は存在してもS_MAXとほとんど区別がつかないから観測は困難だ。
・
何が言いたいのかと言うと、S1だろうがS2だろうがS3だろうが、美に関する議論で善悪や強弱や正誤を決定することは出来ないんだよ。だからSの番号だけで勝負をするしかない。
すると開き直って「好みの問題だ。理屈では説明出来ないが、俺は短いタイトルのほうが好きだ」とか言い出す人間が現れるだろう。
だが自説を裏付ける客観的な根拠も無いのに好みだけで大衆が熱狂しているものを冷笑し見下すお前は、長いタイトルの小説や、そのファンなんかよりずっと醜悪じゃないか?
この手の美に関する議論には正解がない。だから議論には参加せず、どのポジションが最も自分にとって気持ちいいかで考えるべきなんだよ。
お前みたいにハンパにお勉強ができるせいで周りを見下しているし謎に芸術を理解している風に振る舞っているけど、実はなにも理解できていないし思考も浅い雑魚に対してマウントを取ることこそが、俺にとっては無上の歓びなんだよな。
だからS_MAX+1のポジションにいるんだわ。タイトルの長さとかどうでもいい。
S1のようにライトノベルに熱狂できる素直さ、若さ、柔軟さを持っているわけでもなく。
S3のように半端に賢いやつにマウントバトルを仕掛けるほどのガッツもなく。
S4以上のように誰にも理解されない孤独な道を歩むほどの勇気もない。
それがS2。
それがお前という存在なんだよな。
俺は都民で、少し前まで都知事選の投票先に関しては「小池? ねーわww」って感じだったんだけど、正直、最近心変わりしてきた。
ここで俺自身のことを語らせてくれ。
・住居:今年度の春から、都下の実家→23区内1Rに引っ越した
俺は昔から、運命の人が現れるようなことでもなければ結婚するより独身の方が幸せで、まあそんな運命の人なんて現れないだろうし生涯独身なんだろうな~、と漠然と考えていた。
一人寂しい、超寂しい。
父は寡黙で、母とは距離があって、実家いた頃から家族との交流は少ない方だったのに、それでも家に誰かいてくれるのと自分一人しかいないとでは雲泥の差だということを初めて知った。
この孤独があと何十年も続くと思うと、胸に深い深い穴が空いたような気持ちになった。
あ~、共に支え会える誰かと暮らしたい。
まさか、齢三十にして「出会いを求める」という感情を知るとは思わなかった。
それで、「さあ、出会いだ、出会いだ!」といければ良いんだが、残念ながら、こちとら約三十年非モテ陰キャとして生きてきた身で、ペアーズだかタップルだか流行りのマッチングアプリに突撃するのは気後れする。
というか、会費が高い。
そこで俺の目に留まったのが、開発中という都のマッチングアプリだ。
結婚相談所よりはカジュアルで、一般的なマッチングアプリほどチャラくはない。
……正直、官製アプリとか高確率でグダるし、運営も含めてそこまでアプリそのものに対して期待しているわけではないけれどね。
ただ、それでも俺みたいな積極性や行動力に欠ける人間に「これなら俺にも始められそう!」と最初の一歩を与えてくれるなら、それだけで良いんだ。
ダメでもそこを起点に、勇気を出して一般のマッチングアプリを始めるなり、高い金を払ってもサポートがあった方がと結婚相談所に登録するなり、自分で道を歩んでいける気がするから。
とまあ、これが俺は次の都知事選で現職小池都知事に投票しても良いかな~と思うようになった理由だ。
もしも新しい都知事になってアプリ運営に水を刺されても困るしね。
まあ、批判もあるように、少子化政策としてみたら俺も税金でやるようなことかぁ? って気持ちはあるけれど。
だって身も蓋もない話、俺自身、仮に結婚できたとしても、あんまり子供を持ちたいと思っていないもん。
金銭的にもキツいし、むしろ結婚の副次的効果としては「一人口は食えぬが二人口は~」の理屈で、一人あたりの生活費が安く浮くことを期待しているくらいだ。
今よりさらに金銭的なキツさが増す、子育てに参入する意欲はぶっちゃけない。
でも、それはそれ、俺にとって良い政策とは、俺を得させてくれる政策に他ならないってもの。