はてなキーワード: TBとは
お返事くださったみなさま、ありがとうございます。
レスを書いている間にもTBしてくださる方がいらしたので、こちらにまとめさせて
http://anond.hatelabo.jp/20090706013306
何故結婚したのかそれが知りたい
私も増田に愚痴るくらいにはインターネットにはまっている身なので、お互い
いい感じに自分の時間を持っていても過干渉しあわずに済み、快適な一面もあるのです。
そして今までは、ネトゲにはまっているとは言っても、ここまでではなかったのです。
アホみたいに思われるでしょうが、現実の生活でも仕事をばりばりこなしていて、
ネトゲの世界でもギルドマスターとか呼ばれる立場らしき彼のことを、面白い人だ
と思っていたんです。
変わってしまったのは、結婚生活が長くなって(現在3年目)惰性になっているのか、
ひとつはっきりしていることは、彼がここまでゲームに時間を費やすようになったのは、
ボイチャで会話を始めてからということです。
なので、誰かとコミュニケーションをしていたいのかもしれません。
その相手が私ではないというのは、もしかしたら遠まわしな拒絶なのかもしれないなぁ、
というのが、そもそもの書き込みのタイトルに繋がるのでした。
http://anond.hatelabo.jp/20090706015145
実は、話し合いは何度もしています。
・始めに決めた約束ごとを守っていないことを話して、なぜ守らなかったのか聞く
・最低限してほしいことを「お願い」して、改善案を具体的に挙げてみる
話し合って、最低限やると決めたのが、最初に書いた二つです
- 食事を作ってもらったほうがお皿を洗う(たいてい私が作って彼が洗うことになる)
- ゴミ捨ては彼
例えば、昨夜作った食事の食器が、今夜洗っていないままだとしますよね。
で、彼はと言えばネトゲをしてる。「ネトゲをしている時間があるなら、お皿を
洗ってちょうだい」と、言えば、やってくれます。何も言わないと、やらない。
約束したはずのことを、わざわざ「やって」と要求することはストレスなので
たまにイラっとして無言で私が洗うこともあるのですが、そうして
「なぜやらないの?」と問うと、ヘラヘラと笑って「ごめんねーありがとー」
と言ってくるか、「やらないとは言ってない」と逆ギレしてくるかです。
たしかにやらないとは言っていません。
でも、やって、と要求するまでやってはくれないのです。
でもそれは、あくまでも経験からくる「予想」であって、本当にやらないか
どうかはわからないはずだろう?というのが彼の主張です。
と言っている今も、さきほど食べた夕食の食器を放置してネトゲをしています。
一度は、仕事をして疲れて帰ってきて、食器も洗わずにネトゲをしている
あなたの姿を見るたびに、どれだけ私がガッカリするかわかりませんか?と
話したこともあるのですが、私に言われる前に食器が洗われたのは、結局その晩
だけでした。
お願い……。してるんですけどもね……何度も……。もう疲れてきてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20090706023222
私自身はまったくゲームをしないので、おっしゃっていることがよく理解できない
のですが、どんなにクリエイティブであっても、もう少し現実の共同生活を
快適にする努力をしてもらいたいです……。
http://anond.hatelabo.jp/20090706030248
そこそこ嫌われない程度にご機嫌とってそうやって過ごしそうな気がする。
ありがとうございます。
そうですね。便利ですよね、今の彼の生活。
共同生活において「なんで私だけが」という発想は絶対に危険だと思っているので
不満を感じるたびに話し合うようにはしているのですが、彼はあまり不満を言わない
人なので(そりゃ不満はなかろうよ、とも思うんですけど!)私ばかりが
文句を言っているようで、不満を言うことすらストレスに感じている昨今です。
明け方まで毎晩ネトゲしているので残念ながら性欲処理は担当しておりませんが!
http://anond.hatelabo.jp/20090706030319
残念ながら(?)ばりっばりに稼いでおります。
私の収入の1.5倍くらいは稼いでいるんじゃないかと……。
(お財布は生活に必要なお金を割り勘して負担しあう方式ですので、お互い正確な
収入は把握していません)
そして、年間を通しての成果を問われる職種で、ほぼ完全フレックスなので
朝までネトゲをして、午後から起きだして職場に顔をだす、というスタイルで
生活できています。
そんなやりかたで成果が出せるような甘い職場ではないように思えるので、
今の契約を更新するか否かという時期がきたら危ないんじゃないかと危惧は
しているのですが、本人いわく「やるべきことはしている」そうです。
私が彼のことを好きなのは、そういう生活を手に入れるための努力を今までの
人生できちんとしてきた結果の「今」だ、という点にもあるので、
だったら受け入れるしかないのか……とも思うのですが。
でも、つかれました……。
http://anond.hatelabo.jp/20090706021836
えええええっ。本気のご提案ですか?
もしも私が本ばかり読んでいるからと、蔵書の全てを捨てられたらと想像したら
とてもその手段は取れない……と思ってしまうのは、私が甘いのでしょうか?
もしやるとしても、アカウントを消すためのパスワード等が私にはわかりません。
私にわかってしまうようなパスワードを設定するような人では……ない……。
悪意があるわけではないのに(少なくとも本人的には)、たまによそさまのブログにコメントをつけるとやたらに offencive で自分のことしか見えてない、相手の立場を考えない、混乱したコメントになってしまうことが多いのです。
職場バレを恐れた友人と疎遠になったり、mixi でも旧知と疎遠になったり、失敗を何度くりかえしても直りません。
当惑した反応を頂き、あとで自分で見返してもなんだこいつ、と思います。自分が書いた後は荒れた印象になります。
書き慣れてないから、というのはあると思います。あといつも読んでいるので(先方はご存知ないのに)遠慮がない、というのも。
twitter あたりでしゃべっていれば少しはバランスがとれるのでしょうが、そこに出たくないと強く思うのです。仕事について堂々と話せない劣等感もあるけど、自分の関心が拡散したり、やりたいことが増えたりするのは困るなあと思っているのです(お金がないので本とかを買いたくなりたくない)。
要するに自分にはウェブが広すぎる、スルー力がなさすぎる。自分の以外のブログに対して POST できないようにするとか、何かそういう枷でもはめたほうがいいかもしれないです。
何か良い方法をご存知の方はいらっしゃいませんか?
追記:TB という方法があるのを忘れていました。増田だと空気のように TB を使っているのに。ありがとうございます。http://anond.hatelabo.jp/20090622221155 これも参考にします。コメントを書くときの自分は完全に社会性ゼロになっている気がするので。
元増田です。
はてなダイアリーの使って数日だから、間違った使い方してるかもしれんけど、
TBってこれでいいのか!?
失敗しても問題ないのが、増田の良い所!
http://anond.hatelabo.jp/20090609200102
のTBした方は非常に的を得てる、まさに自分が思ってる事をエレガンスに書いた感じ。
これくらいの纏め方を、瞬時にこなせる様になりたいです。
あと、励ましてくれた人サンキュっす。
「くぱぁ」って何なんだろうか。
はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガで女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1
気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。
(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)
擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。
(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合
(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合
とりあえず、この2つ。
まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン。
実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。
たとえば、マウスをクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。
マウスをクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。
「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。
馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。
・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。
「くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。
実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。
怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。
でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。
こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。
この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。
(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。
同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。
でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。
音が実際に発しているわけではないのだから。
きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。
(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。
社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。
TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。
継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説や漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。
瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。
擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。
(2)のパターンの擬音は、自己の感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。
共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味な存在でしかないだろう。
(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)
手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。
そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。
それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。
「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。
静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。
そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。
「耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。
「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。
なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。
散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。
思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。
【第1段階~反対語のイメージ利用~】
食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。
逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。
だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。
(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)
しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。
どうにも、乾いた響きしかしない。
一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。
「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。
だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。
「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。
「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。
「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。
しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。
小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。
だから、ここでは「くぱっ」となる。
【第2段階~語尾の変更~】
さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。
小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。
動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。
「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。
だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。
冷静に考えてみてほしい。
素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。
著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。
勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。
求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。
そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。
「くぱぁ」
柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。
まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。
(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)
【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】
もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。
なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。
日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。
そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。
擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。
・カタカナは、直線的であり、鋭角的である。
・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。
この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。
たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。
だが、今回のテーマ「くぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。
一応、試しに表記しておこう。
・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。
・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。
そんなわけで、「くぱぁ」完成。
今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。
「くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。
・・・んなこたぁないか。
もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。
【6月10日追記】
意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。
TBで指摘されていた「擬態語・擬声語・オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。
その通りだとは思うんですが・・・。
そうすると、擬音語・擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。
う~ん・・・、上手く表現できないんですが。
何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。
先ほど見た、はてブのコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。
これって、凄く重要な指摘なんだと思います。
童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、
醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。
そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。
時には、ファンタジーをファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。
・・・やっぱり上手く表現できませんね。
自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。
自分でもわかりません。
他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。
荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。
その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。
ゆえに、説明は難しい、と思います。
あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。
「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語。
まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。
また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。
創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。
「くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・
(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。
(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉を並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。
(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。
こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20090505230306の元増田です。
mixiなんかにゃ書けないので増田にでも書いて消化しようと思ってた日記に、思いがけず沢山のはてブ/TBを頂いてちょっとびっくりしてます。自分じゃ分からなかった視点での意見が多数で、色々と考えさせられました。頂いた意見について、まとめて返信みたいなものを書いてみます。
堕胎した過去のある友人の前で妊娠をエクスキューズにして婚姻しようという考えを喋ってしまうデリカシーの無さ
マジ切れする相手も相手だが、大人なんだから地雷踏んだらちゃんと謝ろうよ。意図せずとも人の傷を抉ったのは事実なんだし。
これはもう本当その通りです。私の配慮不足でした。彼女は堕胎した相手と今は結婚しており、会う度に仲の良さを惚気るほどですが、「でき婚」はまさしく彼女の地雷で、踏んではいけないポイントでした。「妊娠」自体はNGワードではなく、彼女も含め既婚者同士で妊娠時期を何時頃にするか相談してたりもしたんですが、彼女の中では「既婚者の妊娠」と「でき婚」は全く違うものだったんでしょう。あの時点での私は理不尽な理由で罵倒された事が不満で、彼女に謝ろうとは微塵も思いませんでした。
何が面倒かも考えず、面倒だからというのは、流石にその年代ではヤバイと思う。
いろいろ面倒だからでき婚ってアホか。もっといろいろ面倒なことになるだけだ。
私と彼の選択は「子供以外の理由で結婚を選択することは(少なくとも今後数年は)ない」ということでした。もっと言えば、現状では子供以外の理由で結婚にメリットを感じていません。仕事や両親など、今山積している問題を解決してまで結婚する必要性があるのか疑問です。ですが、子供が出来たとなると別です。夫婦揃って育児をしたほうがなにかとメリットが多いでしょう。ですから、結婚するとなると子供が出来てからかなと、考えが至った訳です。これは何が面倒かを考えていない事になるのでしょうか?他の方にも同様な意見があったので、自分じゃ考えているつもりが周囲からみるとまるで考えていないように見えるのでしょうか。
でき婚自体は賛成派だが、自分の出生が結婚のダシに使われていたら嫌だな。あと、でき婚ねらったものの、ぜんぜん授からない…なんてこともある。
最後のハードルを超えるのに、子供を利用しようとする心根がな。その後の幸不幸で「子供のおかげで結婚できた」感謝は、易々と「子供のせいで結婚してしまった」恨みに変わる。責任を押しつけられる方はたまらない
出来婚が子供を不幸にする可能性ですね。うーん……、正直この考えは全くありませんでした。こればっかりは、子供を授かったら最大限愛することで否定するしかないですね。あと今は軽い不妊治療中でもあるので、授からない可能性も大いにありますね。
えーと、キャリア大事なんだよね~。資●堂のとある女性役員(「女性」といちいち付けなきゃいけないこんな世の中じゃポry)が仕事を続けるために堕胎を選択したっつー話は知っといて損はないよ。
出来婚しちゃうような無計画な人(外から見ればそうとしか見えない)は会社の今のポストを外されてしまう。となぜ思わないのかがわからない
仕事は大事ですが、子供の為ならばある程度は仕事を減らすのもやむをえないと思っています。一方、結婚しただけで今の仕事を外されるのは御免です。そして、今の職場だとその可能性があるんです。結婚して、旦那さんが待ってるんだからはやく帰りなよとニヤニヤしながら言われるくらいなら、子供が出来てからゆっくり定時退社したほうがマシです。
色々とご意見頂きましたが、出来婚ってまだまだ「子供をダシにして結婚した」と受け止められるんですね。自分では結婚のメリットとデメリットを計って選択したつもりだったんですが、周囲の理解を得るのはまだまだ難しそうです。
http://anond.hatelabo.jp/20090331214815
を書いたものだけど、TBされてたことに全然気付かなかった、すまん。
随分前のものなんで見てるか分からないけど、自分なりに考える解決策を書く。
まず相手の立場を考えて話をすること。
話しかけられた方は舞い上がって色々話そうとするけど、それについて聞く方は
わけのわからん数式を一気に叩き込まれるようなもので結構苦しい。
謙虚になって、いかに自分がすごいかを売り込むのではなく、自分が好きなことについて
初心者(初めて聞く人)でも取っつきやすいところ『だけ』を『楽しそう』に話すんだ。
もうひとつは、自分と自分の好きなことについて自信を持つこと。
自分に自信を持つのはいきなりは難しいから、最初は好きなことだけでいい。
自信を持てれば、それについてどんな反応(無関心にしろ否定にしろ)でも、「楽しんでるからいいのだ!」と流せる。
動じなくなるのね。そうすれば報復に出ることもない。
自信を持つには、これは結果と手段をごっちゃにしてしまうんだけど、何を言われてもニコッと笑っていること。
それこそ「楽しんでるからいいのだよ」と菩薩級の笑みで返すんだ。
言われて悔しかったら、一人の時に悔しがる。ここで愚痴を言う。決して人前でそんな態度を出さないでね。
笑うっていうのは割と大事なことで、ちょっと笑むだけで
まじめ、近寄りがたい、めんどう、茶目っ気がない
みたいなイメージが一掃される。やってみるといいよ!
http://anond.hatelabo.jp/20090415023930
の記事に関して思った。
たまにありあまる差別的な内容を含んだ記事に、喫煙者・非喫煙者限らず「それは言い過ぎじゃないの」といったコメントが残る時もあり、それにも「理解力が足りないかわいそうな人」と片付け、その口調もエスカレートしてきた。
しかし、最近になり反論コメントの数が増え、コメントに返事をする管理人の理解力・論理力の無さを指摘し、それをまた管理人が「見たくなければみなくてよい」と返事するするというやり取りが続き、反論者の立場が優勢になったある日、コメントフィードを削除し、その問題の記事を削除したのである。
その後コメントは全て管理者が確認するまで表示されなくなり、彼のブログに反論していた人はこれですこしは「マナーのある・他人に配慮した」ブログになるだろうと思った矢先、2ちゃんねるに彼のブログURLが張られた部分をコピペしたり、彼のブログによって禁煙が成功した御礼コメントを再度掲載したり、再度「不快なら二度と見に来るな」という記事を載せたり、従来の姿勢は崩さなかった。
ここで私が言いたいのは、その「ひどい」内容ではない。私は喫煙者だからひどく感じるだけで、嫌煙者からすれば「当然」という意見が返ってくるかもわからないので、記事の内容については何も言うつもりは無い。
それよりも、リアルで言えない事をブログの匿名性を利用して叫ぶというこの行為。誰も得をしないのでは?
誰かに見せるためのブログでなければWWWに流す理由は無い。オフラインでメモ帳にでも書いておけばいいだけのことだ。
彼のブログはアフィリエイトリンクもあり、アンケートコーナーもあり、記事に疑問文が多い。それを管理者が「記事に同意できる方のみ返事をくれ」というのは自己満パラダイスそのものではないだろうか。
ブログにおいて、賛同的なコメントのみ残し否定的なコメントを削除する、
それが可能であるということは、
ブログはコメント・TBを含めあくまで管理人の意向において構築されている、ということである。
上例は極端な例ではあるが、これはどのブログでもほぼ同じ事である。
そしてそれは、ブログそれ自体が討論の場所にはなり得ないと言うことである。
では反論すべき討論の場がないかというと、そうではない。
匿名掲示板然り、ソーシャルブックマークのコメント然りであると思う。
問題なのは、ブログ本文から反論コメントへの誘導がないことだが、それは管理人の意向なので仕方あるまい。
そもそも、TVや新聞は討論すべき場を提供せず、一方的な発信をしていることが多いではないか。
この個人ブログも、それと同等であるといえるのではないか。
確かにブログはTV新聞と比較して匿名性が高いかもしれないが、
ここで注目すべき点は、偏向記事を作成する個人を叩くことではなく、議論が可能かどうかなのではないか?
TV新聞は、視聴者読者の多さから、またその生い立ちにより世論を誘導する存在であるといえよう。
そして匿名掲示板を始めとする界隈でよく討論の対象になっている。
個人ブログも読者の規模は違えど、つまりはTV新聞と同じく世論を誘導しようとしているのではないか。
このブログが所謂世論にどれだけの影響力を持つのか、それが興味深い。
私個人としては、大した影響力はなく結局はそのブログを購読する人々の議論への
燃料投入元としての価値しか認められないように思うのだが。
恋愛感情は、そもそも子孫を残すために出来たようなもんだからなあ。
切り離して考えること自体がナンセンスだと思うんだが。
好きじゃないけどやりたい⇒単なる性欲処理
好きだからやりたい⇒性愛
の違いだけ?
子孫繁栄目的以外の性行為って、人間はよく行ってるみたいだが、生物学的にどうなんだろうな。
ボノボみたいに、コミニュケーションツールにまで昇華されるならそれはそれで。
中途半端な位置づけだから、色々↑(TBいっぱい)みたいな問題が出てくるのかな。
余談。
つ http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%9C
みんなボノボ大好きすぎるw
永遠に解り合えないんだろうなぁと思ったけど正直ヒス嫌煙が喫煙者を煽ってることもある事にいい加減気付いてほしい。
ノンスモーカーかつ喉の疾患持ちにとって、出来れば煙草は無い方が嬉しいし煙草の煙のにおいとかも好きじゃないんだけど
ヒス嫌煙が身近にいて喫煙者(共通の知人)の余りに過激な人格否定をやらかした所為で
喫煙者のストレスが溜まってしまったのか喫煙量が増えたことがある。
周囲にいたわたしも迷惑した。
でもそれって気を使って吸ってた喫煙者に対してヒス嫌煙がギャアギャア言った所為で煙草の量増えてるのが目に見えていた。(研究室での話)
ヒス喫煙者にこれ言うと「元から煙草吸ってる方が悪い」っていう責任転嫁が始まるんだよな。
ああいやだいやだ。
なんで自分のことを見返せないんだろう。
TBうつ先間違ったかも。ごめん。
個人ニュースサイトに補足されるとすぐ1~2万アクセスくらいいくけど、常に最初に来るところと、後追いのところとのおおまかな順番が決まってて、その流れを毎回見てる限り、後追いの人はほんとに脳みそ使ってない(Viaが後に行くほどマイナーサイトになっていく)。インターネットの伝搬性上、仕方ないのだが、毎回これはどうなの。5時間くらい更新チェックに時間掛けてる人とやってない人の差なのでしょうか。
クリック率もニュースサイトから来る人は非常に低い。置き土産的に何百人かの読者が増えるメリットもあるけれど、損得で見れば「少しの得」、という程度。だから、よく増田で(被リンク側からの)ニュースサイト不要論とかが出てくるんだろう。
リンク元の構成はどれも似たり寄ったりで、相手先のカウンタ見る限り、ヲタマンガを補足するとアクセスが多くなる傾向がある。
http://anond.hatelabo.jp/20090330031329
の元増田です。
怖かったので静かにしてたけど落ち着いたみたいなので。
http://anond.hatelabo.jp/20090330082017
http://anond.hatelabo.jp/20090330082654
付け足すと俺より上手い子がいい。
でも可愛ければちょっと位料理が下手でも許せる。
一番大事なのは可愛げが有る事。
っていうか田嶋陽子って誰だか知らんし。
どうせ碌でもない知識になりそうだから知りたくもないんだけど。
変なTB打ちまくってるようなのはお呼びじゃない。
ロボットのパイロットが髪が目に入りそうな状態でヘルメットをかぶっていたり、あるいはそのヘルメットを脱いでもヘアスタイルがキープされていたり、外骨格スーツで高速飛行してるわりに髪がちょっとなびくていどだったり……
そういう描写は気になるんだけど、けっきょく「アニメだし、まあいいか」で済ませてしまう。これは正しい反応なのだろうか。
そういうハッタリに対する抵抗(もっとリアリティにこだわった作品を作ってやる! とか)もしくは偏愛(それがアニメだ! 様式美だ! とか)を突きつめていくと取り返しがつかなくなっちゃうのかな。
※ちょっと書き直しました。例にあげたのは前二者が絶賛放送中の機動戦士ナントカ00、後者はオープニングムービーがオンラインで公開されていたトリガーハートナントカに関するものです。妙にTBが伸びたなーと思う春休み。
beep世代?ということは同じ世代かなぁ。
beepという雑誌が出てきたのが懐かしいのでつい書いてみる(あれってLOGINが発刊される前だっけか)。
はてブでいろいろ書かれているけど、生真面目に謝罪された姿勢は好きです。
ネット上だと分が悪くなると逃げる人が多いけど、元文を消さずに謝罪はなかなかできない人が多い(改変しないでくれ、という要望はちと難しいとは思うけど)。
近いうちに削除する、とあるけど、なるべくなら、削除しないで欲しいと思う。
良くも悪くも、自身の書かれた文章だし、削除したとしても、なかったことにはできないから。
元のエントリーや、今回の謝罪を読んで、音楽に対する真摯な姿勢もわからなくも無いと思った。
色物な音楽が蔓延して、一生懸命作ってるいい楽曲(と、特定の聞き手が思ってるものが)が、楽曲のレベルに見合った評価がされていない為、売り上げが低迷し、活動や露出が減っていくことに対する危惧もわからなく無い。
最初の文章がやたら攻撃的だったのは、その気持ちが爆発したんだろうけど(でも、ネット上はいろんな人が見る以上、取引先に対するような言い回しの方が無難だけど→そうするとつまんない文章になってしまうのだが)、最初の増田は凄く真剣に考えているんだと思う。
ただ…
仕方ないんじゃないかなぁ、と思う。
こうやって音楽業界やリスナーが、紆余曲折し、いろんなサウンドが流行り廃りしていくなかで淘汰され、時々は復刻していくのが音楽の歴史だったと思うし、これからもそうなんじゃないのかな、と。いい楽曲=売れる楽曲、でないことは、元増田だって分かってるはず。
自分は質の高い楽曲を聴いてる、という自負は他者から見れば滑稽に映るもの。
音楽の嗜好なんて、人それぞれだし。
どんなに作り手が頑張って心血注いでも聞き手は勝手なもので好きか嫌いか、しかないし(それは、他の作品…小説やゲームでも言えますね)。
元増田が書いていたように『ある人はいいと思うだろうし、別の人は良くないと思うだろう。それでいいと思う』でいいと思う。
だから、初音ミクの楽曲がいいって人もそれでいいと思う。好きか嫌いは別にして。
悲しいかもしれないけど、これが現実ってヤツですね。
それを受け入れられないと、僕らが若い頃に思ってたような頭の固い古い世代になってしまいかねない。
初音ミクだっていいじゃないか。前のTBで書いたが、個人的には阿久根ミク(http://studios.kir.jp/iku/)の方がウケたけども。
最初の分に関しては自身のブログで書いた。