はてなキーワード: 神童とは
そう思ったんなら四の五の言ってないで今からまたやればいい。
そんなことを反省したりここに書いたりしたってなにも変わらないよ。
あとね、俺も君と同じような立場で同じようなことを考えたことがあるからわかるけど、「野望とか目標とか夢とか」があればいいってもんじゃない。それを具現化するためにどうしたらいいか、考えてやらなきゃダメだ。それには運も必要だけど何よりもまず努力だ。
「子供のときは努力で差がつく。大人になったら努力では差がつかない。才能で差がつく。そして努力しない奴はひたすら落ちていく。」
はっきり言うけどこれは全く逆。鈍才が大器晩成したり神童がただの人になるっていう話よく聞くだろ?つまりは努力の差によって才能の差が克服された例だよ。気がついたら教科書を読んでるみたいなのが家庭環境みたいなのも含めて「才能」。そこからどれだけの努力を積み重ねるかが問題。
つーか、あんた、はっきり言って心の底から悔しいと思ってないだろ?でなきゃ、「どんだけ努力しても勝てねぇ」なんてセリフ、そう簡単に吐けるはずがない。俺だってね、君と同じような経歴をたどったから最初はそういうことを思ったよ。でも、そういう奴らはよく聞けば俺なんかとは自分と次元の違う量の努力をしてるんだよ。例外なくな。自分で「俺は努力してる」とか思って喜んでる間はまだまだ自尊心を満足させて喜んでるだけ。君が中学校のときまでそうだったように、努力していることを当然に感じるまでやらなきゃ「努力」したことにはならない。やってる最中に何も感じないくら没入して、後になってからぶっ飛んだことをしていたと気づくぐらいまでやって、はじめて「どんだけ努力しても」と言える資格があると思うよ。根性論とかじゃない。根性で克服しないとやってられないようじゃまだまだだよ。
あとは、そこまでしてやりたいかどうかだよ。何かやりたいことがあって、自分が「いい加減」であることを克服したいんだったらやってみたらいい。そうでもなくて、単に人と比べて負けたくないだけならそもそも努力する必要自体がないじゃないか。
1歳半くらいから2語文を話し始め、今では普通に会話ができます。また、「○○はXXだから△△なんだよね」のような理論的な思考もできます。特に教えてもいない(聞かれたことに答えてるだけです)のに、ひらがなやアルファベット、数字を完璧に読みます。他の同じ時期の子供と比べるとかなり進んでいるようで、他のママさんからは驚かれるのですが、せっかくの才能を伸ばしてやる自信がないです。うちはただのサラリーマンの家庭で私は専業主婦なので、慶應幼稚舎からとか経済的に無理だし。
実は、私自身も元神童(笑)だったのですが、やはり家は裕福ではなく、公立の進学校に進んだのはいいんですが、国公立大学しか受験させてもらえず、いまだに慶應に進学できなかったことを根に持っている節があります。その辺のトラウマで「慶應幼稚舎」が出てきたんだと思います。お恥ずかしい。
あと、青春時代が受験勉強一色だった過去があまりに暗黒過ぎて、子供にはそういう思いをさせたくないっていうのもあります。正直、エスカレーター系の学校に関する知識はないので、あくまでイメージでした。
この増田、記事消したんだね。
>いまだに慶應に進学できなかったことを根に持っている節があります。
国公立なら何故そこで東大・京大を目指さなかったのかというのがものすごくひっかかる。
慶応行きたくて行けなかったのはただの怠け者。
慶応行きたくて行ったのは凡人。
東大行けるレベルじゃないけど行きたくて、結果、慶応に落ち着いたのは勘違いの凡人。
東大行きたかったけど、ギリギリ足りなくて慶応に落ち着いたのはちょっと頭のいい人。
生まれてすぐ天上天下唯我独尊とのたまったと言うならともかく、
多少言葉数が多いだけでギャーギャー言わないで欲しい。
子どもはそういう環境にあったからそういう能力を取得しただけで、
別に器質的に優れているかといえば、少なくとも元増田の因子的に優れたものは感じないように思える。
子どもは自由に育てばいい。
悪いことをしたときには親がうんと叱って、
それからよく抱きしめてあげれば、それでいい。
元増田は自分が優越感を持ちたいがために子どもに過度の期待をかけようとしているのではないか。
間違った考えを持つような子にだけならなければいい。
あえて何か習い事をと言うなら、「音楽」と「水泳」を習わせておけばだいたい役立つと私は思うのだけども、
何か不足だろうか。
昔神童で二十歳過ぎたらただの人、なんて腐るほどいるわけで。
子供の伸びより、今ちょっと他より進んでるくらいで舞い上がって期待しちゃってる増田の方が心配だね。
子供の才能を伸ばすなんてのは、親にもそれなりの才能が無いと無理というかむしろ逆効果じゃね?
中高生になった子供が物理学に興味持ったら、「まあ読め」と「ファインマン物理学」を買い与えるような、そういうセンスが必要だと思う。
期待しすぎないで外部にメンターでも見つける方が良いかと。別に金かける必要はなし。
元神童にして家がお金持ちで良い学校の幼稚舎(慶応と近いレベルで、芸能人の子弟もいっぱいいるようなとこだ)
に通ってた俺が安心させてあげるけど、
まず良い学校の幼稚舎とか、神童の才能の伸びとはなーーーーーんの関係もありません。
慶応幼稚舎もそうだと思うけど、ああいうとこの子供の特徴ってのは「親が金持ち」だけ。
むしろボンクラ息子みたいなのが多かったよ。
内部進学の試験なんて超チョロいのにだよ?
これは明らかに元からバカだったんではなく、
子供のおつむにいい影響は何も与えないから安心してもっと別な出来る事を模索してください。
そして、2歳での出来の良し悪しなんてその後の人生やモチベーション次第でどうとでも腐ったり消えたりひっくり返ったりします。
良い意味でご安心を。
中国では、いわゆる「神童(勉強が良くできる子供)」が現れると、親戚縁者がよってたかって恩を売りに来るそうな。進学費用を寄付したりとか。
そうやって周囲のプレッシャーの中で出世し、北京に上って中国共産党の党員になったりしてそれなりに出世していくと、やがては地方の市長や村長として派遣されるようになる。
そうすると、そいつは親戚縁者をごっそりその地方に呼び寄せ、そして親しい者や身内に、役所の重要ポストを配分するらしい。それを見越して周囲も彼に子供時代にたっぷり恩を売るわけだ。
なので、その集落を「(所有物的なニュアンスで)○○さんの村」と呼ぶのも珍しくないとか。そういう文化が「人治国家」の根っこにあるという話を、どこかで聞いたことがある。
ところで、韓国の大統領ってのは大概暗殺されたり逮捕されたりと引退後ロクな末路を辿っていないんだけれども、中国と似たような背景があったんじゃなかろうかと思うと、なんとも言えない気持ちになってくる。
「キリストの処刑を見守りながらただ涙を流すだけだったマリアは冷たい。
母親なら自分で身代わりになっても止めようとするのではないか」という趣旨の記述があった。
無茶を言うなぁと思いながらも、どこか説得力を感じたのは
マリアが違和感を覚えた(大意)』といったエピソードを思い出したからだ。
(詳しくは各自がどっかで確認するように;ルカ記2章41節あたりから)
ヨセフにしてみれば、自分の子供ではないことがはっきりしているし、
血を分けた子は他にも沢山いるとなれば、そちらに感情移入もしてしまうだろう。
そして唯一つながりを持つマリアまで、こんな状態だとしたら
とても言えない状態だったのかもしれない。
実に対照的なのだが、
どうして二人とも、同じようなルートを歩むことになったのやら。
僕はたぶん非モテで非コミュで、それでいて、たぶんとか関係無しに間違いなく童貞である。
だが、生まれてから一度も彼女がいなかったわけではない。相思相愛という関係を体験した事がある点では、彼女いない歴=年齢ではない。つまり中途半端。
その彼女というやつが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女であったかどうかは怪しい。僕にとってその女の子の事を彼女と認識したことはないし、きっと向こうも僕のことを彼氏と認識しては……いや、向こうのことはわからない。女の子は早熟であるし、恋愛というものに憧れるかもしれないので、その子の中では彼氏という言葉を感じていたかもしない。
まず年齢。ガキのお遊びであったとも言いがたいが、思春期という言葉を使うには早すぎるし、当時僕は勃起なんかした事なかったし、性についてはおぼろげにしかしらなかった。そんな年齢だった。
狭い世界で僕らはお互い好きだった。好きという気持ちも、どんな好きだったかはわからない。吊り橋効果に近い、密室効果があっただけなのかもしれない。そんな言葉あんの?でもなんとなくわかるだろ、そんな感じだ。
デートみたいな事はしたかもしれない。プレゼント交換なんてのはした。バレンタインは貰ってない。あとなんかあったっけ?なにもしてない。キスなんて想像も、きっとあの頃の僕にはなかった。あの子にはあったかもしれないけど。もしそうだとしたら、ごめんね。
だから僕はその子のことが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女ってやつであったかどうかはわからない。でも、実際には相思相愛だったわけだから。うーん、わからない。うん、多分何もわからない。これはあれか、シュレーディンガーの彼女か。そういうタイトルのライトノベルとか、あってもおかしくはないかもしれない。つかっていいよ。
1年ほどでその子との関係は自然消滅した。その頃から、全部、全部わかんなくなった。性欲も良くわかんないし、好きとかも良くわかんないし、彼女が欲しい気持ちも生まれたことはなかった。ただそれでも僕は単なるヘテロだし、その辺の大多数の人間と変わりないよ。まーそんなわけで10で神童だった僕は、こんなんが理由ってわけでもないけど、よくわからんうちにただのニートに成り下がった。頭はずっとあの頃のまま変わらなかった。
その自然消滅とやらから15年ぐらい経ち、こんな僕にも、生まれて初めてリアルで本気で好きな女の子が出来た。寝ても冷めてもその子のことしか考えられない。すげぇ、こんな世界があるんだなって思って泣いたりオナニーしたり苦しんだり温かい気持ちになった。非コミュなりに、俺の命!とか思って無理して色々頑張った。就職もした。それだけのパワーが、この恋ってやつにはあった。
でもその子、心が男の子だった。そっか、そうなんだ。彼女がいるらしい。なんかね運命らしいよ。そっかー。んで、良かったね、そういう人がいて。って言ったら、うんっていってた。かわいいなぁ。でも男なのか。そうかー。
僕はその子の幸せを祈る事にした。運命を引き裂くなんてとんでもない。それに、僕は男で、その子は実は男で、僕は女の子が好きで、その子は女の子が好きで、つまり何も噛み合わない。だからどうなんだ、とも思う。もちろん誰が悪いなんてこともない。そして多分これ以上何もないのだ。あの時の彼女のように、何もないのだ。これでいいんだ。このままで。
ただ未来が少しだけ、自分にとって明るいもののような気がしているのは、その恋によって磨かれた自分が、ここにいるからなのだ。思い込みかもしれないけど、そう思い込めるようになっただけでも……いいのかな。
医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれ、医学を学ぶために10才からドイツ語を学び13才で年をごまかして第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)に合格、19才で卒業。陸軍軍医として勤務。
その後も政府内の超エリートとして順調にキャリアを重ね、陸軍では日露戦争にも出征し軍医総監、一方文学者としても活発に活動し、最終的には文学博士であり医学博士であり、退いて後も帝国博物館総長兼宮内省図書頭として正倉院の調査に着手、明治の元老山県有朋と交友があり日本の元号のあり方にも一家言あり、また初代帝国美術院院長もつとめた。もちろん翻訳家、創作家としても名高い文豪であり、また大正の浪漫派を主導した雑誌「スバル」を強力にバックアップしたりもしている。まさに近代日本の根底を支えた最大の知識人、つーかバケモノ。
では頭でっかちの野暮天だったかというとそうでもなく「4才で初恋を経験した」と主張する彼は、留学したドイツでは女の子をひっかけこれが日本についてくる騒ぎとなり、最初の妻とは離婚したが18才年下の嫁を貰って子供を4人作って大変愛した(長男は最初の妻との間の子)。
そして、それでも本人はあんまりこの世が幸せでなかったらしく、死ぬときはそういう肩書きの類一切を固く拒否するという遺書を残した。欲の深さも天才級。
まあそんなわけで……結論はなんでしょうね。
こんな天才と比べたら、って、なんだか比べるのも馬鹿らしくなってくるというか。
まあほどほどが一番という、きわめて庶民くさい結論で納得しとけってことでしょうかね。
しかし、そういう人間がいるかげに、その何倍もの数の色々手間隙金かけたけどモノにならなかった人間てのがいるわけで。そのうちの最も幸運かつ能力に恵まれた人間だけ見て、悲劇を気取るのは、なんだかな。
別に、東大とか音大に行くぐらいは才能がなくてもできるよ。環境さえよければね。モノにならなかった人間は、環境が悪かったかそこまで貪欲になりきれなかったかでしょ。
悲劇?そんな大げさでなく、格差ってものはそういうもんでしょ、という話だけどな。
凡才の底上げみたいなもんまで当たり前に欲しがるのは欲張りでない?別の言い方をすれば、効率が悪い。効率が悪いもんを手間隙金かけてなんとか出来るってのは、そりゃ分かりやすい金持ちの特権でない?
いや、それを言っちゃおしまいだ。効率が悪いものを欲してはいけないだって?そりゃ努力の否定そのものだ。才能があるかないかなんてやってみないとわからんよ。天才と神童は別物。鈍才かと思えば大業績を残すなんて人もいる。田中耕一さんを見てごらんよ。彼は一浪一留学部卒だよ。
それに、何のさしたる取り柄もない人間がたとえば東大を目指しちゃいけないのかい?学校教育なんてのは、国ぐるみの「凡人の底上げ」だよ。
欲張りだって?内面を磨き上げたいという欲求まで、金がないために否定されなきゃいけないのか?何も、世界に一点しかない名画を独占して退蔵したいなんて言ってない。素人芸を身に付けたいと言っているだけなんだ。俺の現在の拙い素人芸でもどれほどの心の救いになっているかわからないのに、もっと充実した腕前を持っている人がどれほど幸せな人生を送っているか、想像するだけで羨ましいよ。それがわかってもらえないかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20070824121820#
できる営業職だった父の背中を見て育った。
学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。
それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。
その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲しい、という甘い考えで入った法学部の勉強は、軟弱で夢想癖のある文学少年には想像以上の苦痛だった。そして、情けないことに、胃に穴を空け、単位を大幅に落とし、留年してしまう。
なんとか四年次まで進級するものの、就職活動でまた胃潰瘍になる。入院。今度は留年こそしなかったものの、就職浪人になる。ただでさえ社交性がなく、新卒の下駄でぎりぎり内定が出るか出ないかの身。カウンセリングや話し方講座なども受けてみるものの、大した影響はなく、どうにも上手く行かない日々。ようやく出た内定は、小さな会社の営業職だった。
それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。
そんな私の現時点での考え。
不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。
努力しても、変えられないものが、ある。
母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。
今日たまたま黒岩よしひろ先生の公式サイト(http://homepage1.nifty.com/rin-yuuki/)を見たらZENKIのDVD-BOXが出ることを知りました。
そして鬼神童子ZENKI公式HPを見てみると昨日で受付終了してました。
※片面2層5話収録(最終巻のみ片面1層) (平均転送レート8Mbps台)
BOX-2 27,500円(税・送料込み)
メーカー直販ということでかなり激安ですが予約受注生産なんでもう手に入りません
でも私も友達も全くDVD-BOXが出るなんて知りませんでした
ちょっと調べてみたんですけど((http://search.yahoo.co.jp/search?p=linkdomain%3Axn--zenki-n47ih90pntc329h.jp&ei=UTF-8&pstart=1&b=11 http://search.yahoo.co.jp/search?p=linkdomain%3Aanimezenki.s280.xrea.com&ei=UTF-8&x=wrt))ニュースサイトなどで全く取り上げられなかったようです。
プロデューサーのブログによるとキッズステーションやコミックガンボなどに広告を出していたようですがZENKI世代は見てないと思います
ハ○ヒやらき○すたなどWeb2.0で大勝利!なところもあればネット通販や日本語ドメインとかのWeb1.1で頑張ってるところもあるんだなー、ということでした
できる営業職だった父の背中を見て育った。
学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。
それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。
その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲しい、という甘い考えで入った法学部の勉強は、軟弱で夢想癖のある文学少年には想像以上の苦痛だった。そして、情けないことに、胃に穴を空け、単位を大幅に落とし、留年してしまう。
なんとか四年次まで進級するものの、就職活動でまた胃潰瘍になる。入院。今度は留年こそしなかったものの、就職浪人になる。ただでさえ社交性がなく、新卒の下駄でぎりぎり内定が出るか出ないかの身。カウンセリングや話し方講座なども受けてみるものの、大した影響はなく、どうにも上手く行かない日々。ようやく出た内定は、小さな会社の営業職だった。
それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。
そんな私の現時点での考え。
不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。
努力しても、変えられないものが、ある。
母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。