http://anond.hatelabo.jp/20070824121820#
できる営業職だった父の背中を見て育った。
学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。
それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。
その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲しい、という甘い考えで入った法学部の勉強は、軟弱で夢想癖のある文学少年には想像以上の苦痛だった。そして、情けないことに、胃に穴を空け、単位を大幅に落とし、留年してしまう。
なんとか四年次まで進級するものの、就職活動でまた胃潰瘍になる。入院。今度は留年こそしなかったものの、就職浪人になる。ただでさえ社交性がなく、新卒の下駄でぎりぎり内定が出るか出ないかの身。カウンセリングや話し方講座なども受けてみるものの、大した影響はなく、どうにも上手く行かない日々。ようやく出た内定は、小さな会社の営業職だった。
それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。
そんな私の現時点での考え。
不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。
努力しても、変えられないものが、ある。
母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。